他にも「伊勢神宮」「仙台」などのキーワードを白い検索窓に入れますと、その言葉を含んだ記事がピックアップされます

久しぶりの京都への吉方位旅行~厄除け・金運・美容など~やはり鬼門封じには、サル(申)の置物! 

 

今回は、昨年末に引き続いて、また京都に行ってきた際の吉方位旅行記を載せたいと思います。

西の吉方位に行く時に大阪とかなり迷ったのですが、今回は状況や日にちが合わなかったのと、京都の神社・仏閣でどうしても調べたいことがあったので、こちらに行ってきました。

今回のテーマは鬼門封じ(厄除け)と現世ご利益です。鬼門封じについてしっかり調べたかったのと、金運や女性の美容や縁結びについても良い神社はどこか?という切り口で廻って見てきました。

今回も短時間で密度濃く廻れて楽しかったですが、暑くてかなり日焼けしました・・・。このブログの最後のところでも、金運と美容に関して良い神社の画像もしっかり載せています。

あっ、でも途中の本文を飛ばして最後のところだけを見てはダメですからね (^^; )  

ちゃんと本文を読んだ方への最後のプレゼントですので。。。その神社の画像から、しっかりとご利益を感じてもらえたらと思います。 (^∇^)

 

こんにちは、笹木です。 

なんと観測史上最短で、6月末にもう梅雨が明けて、それから連日信じられないくらいの猛暑が続いていますね。やはり、これは地球温暖化の影響かもしれません・・・ 

そうして暑さも厳しくなってきて、もはや真夏の感もありますから、対策としてしっかり全力で水分補給をし、その際には万が一の脱水症状に備えて最強の手段である経口補水液も常備して、この酷暑を乗り切って行きましょう! 

さて、4月からの基礎編や6月末からの初級編などの講座も始まってしばらく経ち大分リズムも取れてきて、またようやく鑑定にも多少余裕が出てきたので、今回は吉方位旅行で京都へと行ってきました。大阪や出雲にも行きたかったのですが、これはまた次回の楽しみに取っておきます。 

昨年の2017年11月に京都に行った時からみて約半年後の訪問だったわけなのですが、京都の神社仏閣は、本当に見る角度によってさまざまな姿を見せてくれます。明治二年までの約1,000年以上に渡って日本の都だったのですから、当然と言えば当然なのですが。 

私もまだそのほんの片鱗をのぞかせて頂いているのに過ぎませんが、今後も何かと時間が出来たり調べたいことがあったら、もっと足しげく京都や奈良にも行って、実際の肌感覚で歴史を感じて行きたいと思っています。移動する交通の手段としては、京都は結論としてはタクシーがベストで、奈良はレンタカーが良いですね。。。 

ちなみに、昨年の京都訪問では「気学 龍 水気」という切り口からピックアップした以下の場所を巡って来ました。(その時の写真は、2017年11月ブログの一番最後のところにズラズラっと添付していました) 

京都タワー:世界一高い「無鉄骨建築」。京都駅烏丸中央口前に立つ、地上131mの京都のランドマーク。まずはここから京都市内を一望。 

鞍馬山(くらまやま):天狗で有名な京都最大のパワースポットとも呼ばれている山。早朝に訪れるほど、気の透明感、清浄感がハンパない。

貴船神社(きふねじんじゃ):貴船川の上流にあり祈雨、止雨の神として崇敬される。京の奥座敷。水占いと縁結びで有名。 新緑と紅葉の頃のハイキングに良い。

赤山禅院(せきざんぜんいん):延暦寺の別院。方位除け、厄除けの祈願所。拝殿の屋根に御幣を持った猿がかがんで鬼門の方位に睨みを利かしている。紅葉の名所。

圓光寺(えんこうじ):まるで名作絵画。美しすぎる額縁庭園。「十牛之庭」(じゅうぎゅうのにわ)では、お堂の柱を額縁に見立てて庭園を絵画のように楽しむことができる。

八大神社(はちだいじんじゃ):禊祓い、農耕・水、森林・山、縁結び・和歌、方除・厄除、学業・教育と様々な御神徳を備えている。境内には慶長九年(1604)に、宮本武蔵が吉岡一門と決闘した当時の下り松の古木がある。

神泉苑(しんせんえん):京都を代表するパワースポットとして注目されている。空海の雨乞い合戦でも有名。その後、善女龍王が神泉苑の池に棲みつき、神泉苑の池はどんなに日照りが続いても枯れることはないという伝説が生まれた。

梨木神社(なしのきじんじゃ):境内の井戸の水は「染井の水」と呼ばれ、京都三名水の一つ。

京都御苑(きょうとぎょえん):京都御所を囲む周囲4kmの国民公園。この中でも、一般にはあまり知られていない自然の気が豊かなところがあるので、今回行ってきました。

京都迎賓館(きょうとげいひんかん):国賓等の接遇の様子が見られたり、京都迎賓館に生きる伝統的技能には、ただただ圧倒される。
 
建仁寺(けんにんじ):国宝である俵屋宗達筆の「風神雷神図」や、有名な龍の天井画である法堂天井の小泉淳作筆「双龍図」など見ることができる。
 
です。
 
京都は、あまりにも見どころが多過ぎるので、いつも切り口を明確にしてそこに特化し、それ以外は欲張らないようにして行かないと、かえって旅の中身がなくなってしまっていけないとも思っています。
 
今回は「鬼門封じ 厄除け 金運 縁結び 美容」といったテーマで、まずは邪気払いに関して見た後に現世利益に関係したところを見るという角度で、京都の神社仏閣を廻ってきました。
 
ちなみに、今回行ったところも書いておきますと・・・、
 
護王神社(ごおうじんじゃ):和気清麻呂で有名な神社。足腰の守護神として広く崇敬されており、境内の狛猪に因み「 いのしし神社」とも呼ばれ親しまれている。私も亥年生まれなので、まずはここで参拝し、旅をスタートさせました。
 
赤山禅院(せきざんぜんいん):本尊の赤山大明神は陰陽道の祖神とされる中国の神・泰山府君を勧請したもので京都御所の表鬼門を守護。鬼門除けの猿が居ることで知られ、方除けのお寺としても信仰されている。
 
幸神社(さいのかみのやしろ):京都御所の北東に位置する場所にあり、御幣を担いだ猿の彫刻と絵馬が大人気。現在は縁結び、鬼門除けの神社として信仰を集めている。
 
京都御所(きょうとごしょ):14世紀から明治2年までの間の「内裏」、すなわち歴代天皇が居住し、儀式・公務を執り行った場所。
 
仙洞御所(せんとうごしょ):譲位した天皇の御所。仙洞とは本来、仙人の住み処(か)を言い、今回もまさに仙界のような幽玄さを感じた。ただし見学するためには事前の予約が必要。
 
京都御所「猿ヶ辻(さるがつじ)」:京都御所の東北角付近のことを指す。東北にある猿ヶ辻の部分だけが内側にへこんでいて、堀の屋根瓦の下には烏帽子をかぶって御幣を担いだ猿の彫刻が刻まれている。これは鬼門を守護するために置かれたもので、猿の彫刻は金網でカバーされている。
 
御金神社(みかねじんじゃ):強力な金運上昇のパワースポット。 お参りした年はお金に困らないと評判。
 
吉田神社(よしだじんじゃ):京都市内、東北方面にある吉田山の一角を占める平安京の鎮守社。節分祭や厄除詣発祥の社として崇敬を受けている、清々しい気が漂う神社。
 
八坂神社(やさかじんじゃ):厄除け・縁結びの神、祇園さんの呼び名で親しまれている。御本殿から湧く水は地元では「力水(ちからみず)」と崇められ、祇園の舞妓さん、料理屋等の人々から大切にされ、信仰の対象となっています。
 
美御前社(うつくしごぜんしゃ):美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされていて、美に関心がある方、舞妓さん・芸子さん、美容理容関係者、化粧品業界などから厚く信仰されている。境内の美御前社で湧く「美容水」は天然の美容水で、お肌の細胞が喜ぶ御神水。
 
東大寺(とうだいじ):昔、修学旅行で参拝したあの懐かしい大仏様にまた会いに行く。周りには様々な学校のグループの中学生が(3~4グループだったか・・・?)居て、横で説明をタダでたくさん聞けた・・・。
 
春日大社(かすがたいしゃ):東大寺の隣に位置し、縁結びに効くパワースポット。更に本社4柱の神様のほか、奥の院参道沿いには15社の神々様が祀られていて、人が生涯を送る間に遭遇するさまざまな難所をお守りくださるという心強いラインナップ。
 
若宮神社(わかみやじんじゃ):若宮15社のうちの1社。若宮神社は神奈備山を背にしていることから、パワースポットとしてお祀りされている。御神徳は、正しい知恵をお授けくださる神様。
 
金龍神社(きんりゅううじんじゃ):若宮15社のうちの1社、開運財運をお守りくださる神様。後醍醐天皇ゆかりの宮。
 
に行ってきました。
 
そのようにして、今回の京都訪問のテーマは「鬼門封じ」「金運」「美容」ということでしたので、それぞれの3つのテーマの箇所として、下記の場所に行きました。
 
「鬼門封じ」・・・赤山禅院(せきざんぜんいん)、京都御所の東北角「猿ヶ辻(さるがつじ)」、幸神社(さいのかみのやしろ)。比叡山・延暦寺も本当は行きたかったのですが、ここは最も遠くて時間がかかるので次回に廻しました。
 
「金運」・・・御金神社(みかねじんじゃ)、金龍神社
 
「美容」・・・美御前社(うつくしごぜんしゃ)
 
などです。
 
もちろん、各神社仏閣の持っている御神徳は一つだけということではありません。各神社仏閣は、いわば総合ビタミン剤のように、ある程度すべての要素は兼ね備えていらっしゃいますが、その中でも特にビタミンAが多いとか、ひざの関節に良いコンドロイチンが多い、などのように、各々の御神徳の強みがありますから、その点を今回はピックアップしてお伝えしています。
 
ここで、今回の主たる目的の「鬼門封じ」について方位的解釈の角度から述べていきますと・・・、
 
昔から東北の方位は「鬼門(きもん)」と言われて恐れられてきていました。この鬼門という言葉は有名なので、皆さまもお聞きになったことがあると思います。
 
また、よく聞く言葉で「草木も眠る丑三つ時」というものがありますが、ではなぜそのように恐れられて来たかと言いますと、1日の中では最も草木も人も寝静まった頃合いの時間帯は「気が陰から陽へと」変化し始めるタイミングにも当たっていて、これが方位でも東北、つまり丑寅(うしとら)の方位で同じ働きが起こるのです。
 
個人的には、もともと日本自体が東北と西南に長い国なので「東北=鬼門=艮」と、「西南=裏鬼門=坤」の方位の影響を特に強く受けやすいということも関係しているのではないかと思っていますが。。。
 
さらに家の中の風水的な間取りでも、ここが汚れていると家の中全体に汚れた気もぐるっと蔓延していくので、ここを清浄に保つことは特に大事であり、トイレとか浴室があると水は気の蓄電池のような働きもあるので、気が滞って今度は廻らないようになるので、これもまたよくない、などと言われます。
 
テレビのコマーシャルでも「くさい臭いは元から絶たなきゃダメ」などとも言われていますが、まさにここが気が陰から陽に切り替わる「元」とも言えるのです。太極図でも、真ん中の黒と白、陰と陽の楕円は東北と西南の箇所から気の流れが入れ替わり始めているのが見て取れます。
 
故に、ここをキレイに出来れば、それ以降の気の流れの全体を通じて穢れを極力排除できます。ただし、他の方位でもある東・東南・南・西南・西・西北なども、みな大事なことはもちろん変わりありませんが。
 
しかし、無闇に恐れることはなく、もしそういったことがあった場合の対策としては、常に東北のエリアをまずは掃除を欠かさず物理的にキレイにすることと、邪気を吸収してくれる盛り塩も置いて1週間弱で取り換えつつ、気の通り道の観点からも、この鬼門のエリアを清浄に保つことが出来れば、それほど大きな問題は起こりません。
 
そしてこれは、昔の京都や東京に於いても都の造営に際しては同じように考えて対策が取られてきて、いわば東北は最も注意すべき方位として、その当時考えられる最高の鬼門封じ、邪気封じの対策が取られてきました。まずは方位全体に与える影響が最も大きい東北を押さえておく事が大事だ、と・・・。
 
そのようにして当時で言うところの平安京、つまり現在の京都府の京都市街に於いて取られてきた対策は、
 
比叡山延暦寺の造営
赤山禅院の建立
幸神社の建立
京都御所における東北の角をへこませている建物の造営
 
と言った事になり、この重要な鬼門のライン上にある4つの神社仏閣には、更になんとすべてにサル=猿=申の像が配置されているのです。(!)
 
そのサルの像とは、まさにあの「おさるさん、モンキーの像」ということで、これは東北の対冲の方位である西南の未申(ひつじさる)の申からもってきて、寅の対冲の地支でもある申が方位的なエネルギーで寅の働きを剋すことを期待して像を作ったのでしょう。
しかし本当を言えば、申と猿とは違うのですが、当時の権力者たちは良い方位的効果も期待しておさるさんの像を置いたということだと思います。もちろん、まったく効果がないというわけでもないでしょうが・・・。
 
更にこの鬼門から出る邪気を封じ込める本当の意味を物語化したのが、「桃太郎伝説」でもあります。
 
四柱推命の特殊法則である西方合=せいほうごう=申・酉・戌が組み合わさる働きによって、金気が極大まで強まることから、あたかも「金剋木」の作用によって桃太郎の家来たちであるサルや雉や犬たちが、丑寅(うしとら)の鬼がいる東北の鬼門の働きを封じ込めるまでの働きを物語化したということになります。
 
この物語の中では、鬼には牛(丑)の角が生えていて、虎(寅)の模様の毛皮のパンツも履いていますよね。(^^; ) 
 
 
鬼門以外の対策としては、更に京都市内には多くの神社も建立されていますし、裏鬼門と呼ばれる西南の方位にも、また同じように鬼門・裏鬼門のラインを守るように神社仏閣が建てられていますが、今回は裏鬼門の方は割愛して、鬼門のみに的を絞ってお伝えします。
 
私も、この西方合の特殊法則の働きには以前から着目していて、これまで吉方位採りに活用してきて高い効果を挙げてきています。
 
一例としては、書籍『十干十二支気学』の第9章の体験談でも載せていたり、私のホームページの「方徳効果の現れ方」でも「『医院繁盛』歯科医の方に西は最高」のところで書いており、これを結婚運の向上について応用した件については、次の本の体験談に書く予定で取っていたところでした。
 
ただし、それは既に昨年の2017年9月3日に行ったセミナーでは、詳しくその星の採り方と吉方位効果の出方の作用についても述べていましたが。。。
 
このように、干支による吉方位採りで方合や三合を活用すると、非常に大きく吉方位効果を引き出すことが出来ます。
 
しかし、今世の中に言われている定位による三合の使い方ではダメで、それではいわゆる天井の上から目薬を差すようなものですので大きな効果は引き出せません。(これについても、ホームページの十干十二支氣学のところで簡単に述べています。)
 
更には三合法に限って言いましても、三合水局、三合木局、三合火局、三合金局などがありますが(土気は火土同根の法則により火気の根でもある巳午未を採ることで増やす)、その中でも自分にとって良い木・火・土・金・水の気を選ぶことが重要です。
 
四柱推命では常識でもあるのですが、いわゆる五行喜忌(ごぎょうきき=木・火・土・金・水の気の中で良い働きをする気と悪い働きをする気)があって、もし自分にとってのよくない気を三合で増やしてしまったならば、却って運勢を一気に大きく傾けてしまうことにもなるので、自分にはどの気が本当に必要で、逆によくない働きをする気は何なのか?をしっかり見定めてから、三合法は活用しないと非常に危険なことになります。
 
たとえて言えば、推命気温を上げるために三合火局が良い人は、三合水局を取るととても恐ろしいことになる確率が高い・・・、などです。これも命式の干支を見る際に、九星気学のように9つだけの星の分類ではなく、その干支を年・月・日・時間まで見ていくと、個々人ごとに命式は著しく違うので、しっかり調べて見なければ一概には言えないのですが。。。
 
そして三合よりも効果が高いのが方合(ほうごう)です。これを干支の次元の気まで見ると、吉方位採りに活かすこともできます。しかし自分にとってどの五行の気が良いのか?はしっかり見定めてからでないと効果が高いだけに、こちらも、もし間違った使い方をしてしまったら大変なことになります。
 
しかも言うまでもありませんが、この木・火・土・金・水の気は、九星気学で言われている象意の気の次元ではありません。そのもっと奥にあり、九星を形作っている十干十二支=天干地支=いわゆる天と地の気の次元で言うところの「木・火・土・金・水」のことです。
 
九星だけの気学で浅い知識しかないのに、もし方合や三合を吉方位採りで活用しようとしますと、それはあたかも、子供が良く切れる包丁を見境なく振り回そうとするようなものですので、その点は充分慎重に見極めた上で、こういった干支の法則を応用した方位採りは行っていかなければなりません。
 
世の中の九星だけで見ている気学で簡単に言われているような三合法では、まだまだ全然本質を見極めたものではないので、当然のことながら真の吉方位効果も引き出せず危険の方が大きく、何もなかったと言うのであればむしろ御の字と言えます。
 
そもそも四柱推命で吉方位を見ることの出来る鑑定師が、いま世の中にいったいどれだけいるか・・・という話でもあり、更にその前提条件として、四柱推命で運勢鑑定ができなければ当然、吉方位鑑定もできないということではあるのですが。。。(^_^;)
 
そして今回は、鬼門封じや金運、縁結びの件で巡ってきた神社としては、吉田神社と八坂神社がありましたが、ここは四方参り(よもまいり)の下見の意味も兼ねて訪れました。
 
この四方参りについて説明しますと・・・
 
まず京都には御所の四方を護る神社としては吉田神社、八坂神社、壬生寺、北野天満宮、があり、節分の日にこの四社にお参りすることを「四方参り(よもまいり)」と言います。
 
節分の夜、邪気(鬼)はまず、東北の表鬼門に当たる「吉田神社」に現れ、吉田神社を追われ、
 
次に東南の「八坂神社」、
 
西南の裏鬼門「壬生寺」、
 
そして最後に、西北の「北野天満宮」まで逃げてきて、北野天満宮の福部社の中に閉じ込められます。
 
こういった流れで邪気を払い、福を招く「四方参り」をしてから新しい年を迎えることになります。
 
このようなお祭りも昔からあったように、鬼門からは鬼がやってくるけれども追儺(ついな)式、俗に「鬼やらい」と呼ばれる神事を行って、東北から東南、さらに西南から西北へと鬼(邪気)を流して行き、最後には西北で福の神が鬼を封じ込めて新しい年を迎えるということです。
 
これも結局は、家の中の風水的な流れで、北から東北、東、東南、南、西南、西、西北と言うように気が廻っていく流れや、
 
1日の時刻の流れでもある子から始まって、丑寅卯辰巳午未申酉戌亥、と言うように丸い時計で時間の針が廻って行くのと同じ流れであるということに気づきます。
 
1年で言うと冬春夏秋という流れでもあるのですが、

その流れとしては、まず子の刻から始まって、物事がゼロから種子として産み出され始まって行った際に、陰から陽に気が転じる重要な箇所でもある東北の鬼門を清浄に押さえておく事は、その後の気の流れをスムーズにしていくためにも必須のことであるということを、昔の人たちは何よりも経験則的に分かっていたのでしょう。
 
そしてこれは当然のことながら、現代に生きる我々にも同様に当てはまっている法則になります。
 
どんなに文明が進歩しても、我々はこの大自然、大宇宙の法則の中で生きる1つの生き物であることに変わりはありません。
 
それを忘れて文明におごってしまったとしたら歴史が証明しているように、そしてこの地球はもしかしたら何回も核戦争で滅んできていたのではないか?という地相の分析からも示されていたり、あるいはムー大陸の逸話、バベルの塔の崩壊といったような文明におごった人類が滅亡したと言った伝説からも示されているように、同じ結果をたどることでしょう。
 
ですので、先人たちが残してくれたこの貴重な法則、たとえば「東北の方位からの気の流れをいかに清浄に保つか」という大切なことを、我々自身の人生にも活かしていく事により、更なる身の周りの幸せや繁栄がもたらされるはずです。
 
過去を見てみれば、日本の歴史で約300年前後続いた時代は平安時代と江戸時代だけであり、その両者に共通して言えることを一言で端的に言ってしまえば、「鬼門を特に重要視して神社仏閣を建て気の流れを清浄にして都を鎮護化した」こと、あるいはそれらをもっと包括して言えば「方位そのものの働きを非常に重要視してきた」からとも言えます。
 
江戸時代に関して言えば、大きい視点からは、徳川御三家の水戸藩は、江戸から見て東北に配置し、八代将軍吉宗が出てきた紀伊藩は裏鬼門である南西に配置して、鬼門・裏鬼門の護りを徹底したことが言えます。
 
更に江戸の中で言えば、鬼門・東北の方角には寛永寺(上野)を置いていました。寛永寺は東の比叡山を意味する「東叡山」という山号も持っており、平安京の鬼門を守った比叡山の延暦寺になぞらえられています。更に隣には上野東照宮を建立、そして浅草寺でも家康を東照大権現として祀るなど、鬼門鎮護を厚くしました。
 
また、邪気の通り道とされる反対側の南西、裏鬼門には増上寺を置いています。増上寺には、2代将軍・秀忠を葬っており、どちらの寺も徳川家の菩提寺としています。
 
それだけではなく、更に鬼門・裏鬼門の守護を徹底するために、神田明神は、もともと現在で言う東京都の大手町付近にあったのを湯島に、日吉大社から分祀した日枝神社を永田町に移しています。
 
これら寛永寺・神田明神と増上寺を結ぶ直線と、浅草寺と日枝神社を結ぶ直線とが交差する地点に江戸城が位置していることから、徳川家康の方位的、運勢的なコンサルタントとも言われた天海僧正による鬼門・裏鬼門封じの徹底ぶりがうかがえます。まさに「これでもかっ!」というくらいの全力投球ぶりです。(^-^;) 
 
江戸の三大祭とされている神田神社の神田祭、浅草寺の三社祭、日枝神社の山王祭は、江戸城の鬼門と裏鬼門を浄める意味づけがあったとも聞いています。
 
これらのことを見ても、天海僧正だけではなく、徳川家康自身も、どれだけ江戸において鬼門・裏鬼門をパワースポット的に清めることが重要かが分かっていて、そこからまさに全力で徳川幕府の江戸時代の平安の基を方位学的に構築しようとしたか?がうかがえます。いくら天海僧正がアドバイスしても、徳川家康も理解し納得した上でなければ、実際に神社仏閣を建立できなかったわけですから。
 
最後にまとめますと・・・
 
我々は過去から受け継いだ、この素晴らしき叡智の集大成の一部が分かって理解できたならば、今の世の中と自分自身がより良くなる方に使っていかなければもったいない、と思うのです。
 
それも含めて過去の叡智を活かすために必要な具体的行動は、個々人みな一人一人が与えられた違う個性を、まずは運命学を通して知った上で、これを活用して全力で精いっぱいあがきながらも、世の中の発展のために尽力していく事ではないか?ということです。
 
私自身は、もう既に十干十二支氣学による吉方位鑑定に、この干支の開運法を活用しており、三合法、方合による吉方位採りも含めて、鑑定のお客様に大きく開運して頂くために活用しながら、この道しるべであり、同時に強力なエンジンでもある「十干十二支氣学」を毎日フル活用して、目の前の一歩一歩を歩んでいるのです。
 
そして、ちょうど6月末から始まった講座の「初級編」では、まさにこの四柱推命による方位採りのノウハウについてお伝えし始めたところでした。
 
これからも皆さまの開運と魂の向上のためお役に立てる、今回の吉方位旅行記のようなブログ記事も書いて頑張って参りますので楽しみにしていてください。
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