こんにちは、笹木です。
 
今回はのっけから、冒頭のタイトルとは関係ない、楽天の日本シリーズの優勝の動画から始まりましたが、本題にはあとから入っていきますのでゆっくりお付き合いくださいませ。
 
少なくとも昨日今日に関しては、今までの寒さからしますとお昼前後は日差しも暖かく、ポカポカと落ち着いた陽気のように感じられましたが、その分最近特に、気温差が激しいので体調を崩されている方をよく見かけます。
 
皆さんは、体調を崩されていませんか? くれぐれもお気を付けくださいね。
 
かくいう私も最近は、ほぼ毎日呑んでいた状態から、できる時においては(どうしても出なければいけない呑みの席や人様と呑む大切な席以外は極力)酒を控えるようになりました。これからの自分にとって何が一番やるべきことか、来年以降のスケジュールを考えたら自ずからそのための節制もしようという気にようやくなれました・・・。
 
さて、先日の楽天の優勝から、田中マー君の第6戦の激投の末の敗北、第7戦の最終回、9回になってからのまさかの登板、そして楽天初の優勝!、という実にドラマティックで球史に残る優勝、といったことについて書き連ねる時間もなく、もうまさしくあっという間にあれから11月の半分が終わってしまいました・・・。(まさしく日本一遅い今年の日本シリーズの感想です・・・)
 
そんな中で、さすがにもうこれ以上楽天の結末を書くことを延ばしてはいられない、という想いから本日ブログをやっと更新できました (´▽`;)
 
普段 社会の中で仕事をしていますと、どうしても打算や計算、ミスや失敗をしない堅実な方法、負けない手というのを考えてしまいます。昔の兵法でも「戦いは十分の勝ちではなく三分の勝ちをもって上策となす」という言葉もありますが、そういった打算や計算とは無縁の力と力、ハートとハートの真っ向勝負のスポーツなどを見たときに、日常見られないピュアな場面を感じられるので我々は感動するのでしょうね。
 
つまり戦術と戦略の違いといいますか、その場のストーリーやこだわりの勝負的に面白い流れと、結果として勝敗に勝つための流れは違う、ということになると思います。
 
監督でも面白くなくても勝つやり方を取る人もいれば、その場面場面は面白くて盛り上がるのですが試合やペナントレースにはあまり勝てない監督、というのも今までの人たちを分類すると、確かにいたような気がします。
 
できれば面白くてかつ試合にも勝てればいいのですが、あいにくファインプレーの前にはミスがある、という言葉もあるように、
 
一概に胸がすくような感情を満たす勝負のやり方が結果もいいものをもたらすとは限らないわけです。
 
今回の第7戦の9回、田中マー君は本当は自分の得意の直球で押したいという思いはあったのでしょうがバッターにタイミングを合わせられていて、しかも体力も限界に来ていて球威も軽かったので当たれば飛ばされてしまうという事が2人塁に出して分かったのですが、最後は試合に勝つことを重んじ自分の感情は殺してとにかく勝つため優勝するために、変化球で三振やアウトを取りに行ったわけです。
 
でも個人的にいえば、満点の勝ちすぎでない結果で本当によかった、次にまた課題やハングリーさの種が残りそれを活かして頑張れるので選手生命が延びたから、ベストの勝ち方だったなぁと思ってみていました。
 
で、改めて思ったことは、最後は精神力! なんだなぁと。
 
若いときに大きな苦労を味わった人ほど逆境に強い! そういうことを感じました。
 
・・・話は変わりますが、そういったことを日本シリーズを見て思いながら自分の今年も振り返って見てみますと、今年は強い突風にあおられているようで内容的には大変だったけど、でもなんとかその風を帆の中に納めて進む力とすることができて、成果的にも自覚的にも満足度的にもとても良い年だった、といえる気がしました。
 
それと最近ふと思ったことは、結局物事全ては自分の心のフィルターが外界からのいいものも悪いものも含めたいろいろなものを含んだ情報から、自分の心に合ったものが自然と取り込まれるということで、それによる変化は最近どうなってきただろうかと振り返ってみると、外の見え方とリンクさせてみるとやはり前とはちょっと違うと感じた変化がありました。
 
これまで感じたことのなかった、たとえば目に映る景色の違い
何気なく公園の下を歩いたときの木漏れ日、陽の光の優しさ、温かさ
窓から差し込む光の優しさ、柔らかさ
夜に街を歩いていたり車を運転している時のライトや信号の明るさ、鮮明さ
 
そういった些細なところが最近変わってきた気がしていました。
 
何と言いますか、あたかも周りを包む空気やヒト、モノ、存在が柔らかく、優しく、温かく、そして鮮やかになってきたような。。。
 
それ以外にも自分の心の中から、普段何気なくしていても穏やかな喜びが湧き上がってきたり、あとはそもそも昔に比べて、今本当に生きるのが辛くなくなってきて楽になってきつつありました。
 
・・・昔はものすごく辛かった・・・
 
その大きな理由の一つとしては、直接的にはまず間違いなく精度を合わせた吉方位への引っ越しが成功した事があり、同様にこういった引越しをされた皆様も一様に言っていたことではあったのですが、それ以外にも自分とそして人様のために占い鑑定の知識を活用して身を処してきたということが背景にあるのかも、と思ったりしていました。
 
でも実は本当に大事なのは、手段ではなくてその目的がなにか、どこへ向かっているかということなのです。
 
いわば太陽の道を歩いていくか、月の道を歩いていくか、大地の道を歩いていくか、どれであってもその道を通してどこに向かっていくか、といった違いなだけなのです。 (ちょっと抽象的ですけど占い鑑定に詳しい方や、直観力の鋭いような分かる人には分かったはずです。)
 
そしてここからが今日のブログの本番なのですが、タイトルにもありましたように
 
運気を後天的な努力で良くしていくための吉方位のエネルギーの活用とは、十干・十二支・九星の、木火土金水の気をうまくそのときの運勢の気のバランスにあわせて取り込み配合する、いわば漢方の調合のようなもので、決して単なる○とか×とかで表されるものでは本当はないのです。しかし世の中に出ている本や私の鑑定書でも、あくまで簡略的に紙に書いて伝えるために一応○×とその説明として表記してはありますが、でも本来は違うものなのです。。。
 
料理でも一緒ですが、味付け次第でいい素材も台無しになってしまったり、普通の素材でも活かし方によってはものすごく美味しい料理にもなったりもします。
 
つまり料理であれば調理人、漢方であれば調合する人の腕次第、ということになります。
 
そして私の本分といいますか専門領域である方位学についても、正直世の中でいろいろな意見を唱えている人、いろいろな流派や考え方もあります。
 
私が言う方位学的味付けとは、具体的には九星だけではない十干十二支も加味した方位学、ということです。これはもうほぼ四柱推命の領域に入っているのですが、またこの四柱推命だけを見てみても、正直世の中にある半分くらいの考えはいわゆるまちがった四柱推命、おみくじのようなお遊びの占いや通変星のみに偏った見方、または精度の低い当たらない十二運を活用した、実践鑑定に根付いていないかなり古い考えに基づいた理論だけのものも相当あります。
 
方位を見るに当たっては九星の領域である部分と十干十二支の領域の部分、つまり気学と四柱推命を知っていないと深くは見れないのですが、それぞれの流派や考え方がまた混在しているので、その中からさらに当たるもの、ないしは本当に効果が出て幸せになれるやり方考え方を模索していくというのは、砂の中から砂金を見つけるようなものなのかもしれません。
 
それくらい難しいものだから、今ある気学はあえて九星気学、というように九星と一部の十二支的要素だけに的を絞って世の中に出ていますし、もちろんそれでも大枠としてはある程度当たっているのですが時に十干十二支で反作用的なタイミングに当たってしまうと心や体に反動が出てしまう、といったことも今まで拝見した方々から帰納法的にわかってきたりしていました。
 
もちろん自分の考えが正しいなんてこれっぽっちも言えませんしまた言うつもりもありませんが、自分自身とその私の意見に耳を傾けてくれる人に対しては、責任を持って自分の信じる考えや意見をお伝えしていきたいというスタンスでおります。
 
結局最後はやはり、『結果がどうなるか』『どれくらい人様のお役に立てたか』 といったところが大事だと思いますので。
 
といっても私も自戒したいのは、ほかの人のことを攻撃するつもりはまったくこれっぽっちもなく、前にテレビCMで「人には人の乳酸菌」というセリフがありましたが、結局はそれぞれが自分自身に責任を持てる範囲で自分の信じるやり方を取っていけばいいだけなのだと思っています。
 
実は東洋系は特にそうなのですが、占いの世界ほど口汚く他流派をののしったり口撃する世界もまた珍しいくらいなのですが、それをやったからといってどうなるわけでもなく、自分と周りに対して責任を持つ人たちの幸せに如何に貢献するか、時間があるのであればまずそこが何より大事なのではないか、と思っているのです。
 
いろいろ占いの世界は千差万別、跳梁跋扈、流派や手法は山のようにありますが、一つ見分け方としては、その占い鑑定をしてる当のご本人様が幸せかどうか、少なくとも自分自身を幸せに出来ない鑑定師が、鑑定に来たお客様を幸せに出来るはずはないという見方で鑑定してくれる人を選ぶというやり方でまずは間違いないでしょう。
 
これは自戒を込めてなのですが、いろいろ知識などで言うのはたやすく自由でもありますが、最後は対面で感じた雰囲気、そして後は行動と実績と結果、それしかないのではないかと思っておりました。
 
私もこういったことも考えつつ来年からさらに進んでいくための準備と心構えをしていたのですが、そのようにやらなければいけないこと、必要な準備などに追われていますと本当にワクワクしつつ、また休む間もなく大変なのですが、
 
やればやった分だけ自分の調理人としての腕、または漢方の調合師としての経験も上がっていくと思えばたとえどんなに大変でもすべてはやればやった分だけ得、つまりはやったもの勝ち!なわけです。
 
後からその経験はすべて自分のものになっていき、その段階での自分のスキルでしか次の更なる可能性を切り拓いていけない、つまりちょっと無理して頑張れば頑張っただけ次に切り拓ける可能性は加速度的に増していき、進歩向上のスピードは急激に上昇していくという人生の法則でもあるような気がしていました。
 
そのために自分の体とも相談しつつ、これからの数年間でやらなければいけないことも来年から改めて計画を練りつつ、これからさらに頑張ってこういった私なりの占い鑑定もさらに深化させ探求しつつで皆様のお役に立っていきたいと思っていました。

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