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相談事は、相手のタイプを細かく見てみなければ、本当に心に届く回答はできない

※  2019年7月9日(火)~9月16日(月・祝)まで上野の東京国立博物館でやっていた、「特別展 三国志」を見に行ってきました。私は三国志の諸葛亮孔明に憧れたところから占術を学び始めましたし、その原動力は、英雄たちの活躍にあこがれた、あの少年の日のときめきです。それをNHKでやっていた人形劇三国志や、横山光輝のマンガ「三国志」が教えてくれました。

 

数十年ぶりの再会でしたが、あの時使われていた人形たちの実物も観られて、とても感慨深かったです。しかし実際見て見たら、予想よりもかなり大きかったですね・・・。売店では、私の一番好きな「諸葛亮孔明」グッズを複数買ってきました。

お菓子のおまけのような、5つのキャラクターのうちどのキャラが入っているのか分からない、的な箱も買いましたが、残念ながら孔明は入っておらず、代わりに曹操が入っていました・・・。(^^;)
(〃∀〃;)

 こんにちは、笹木です。

最近は、もう10月に入ろうというのに、まだ30度近くあったり、蒸し暑い日があったりで、なんだか全然秋の涼しさの気配は感じませんね。。。

9月1日から10月27日までやっている、今年最後の「十干十二支氣学講座 鑑定師育成編(中級編)」には、京都から通ってくださっている方もいらっしゃるのですが、もう京都はかなり涼しくなっているということでした。

いずれ東京も10月半ばから後半になれば寒くなってくるのでしょうが、それでも何かしら季節の流れがこれまでとは違ってきているのを感じます。まるで地球が悲鳴を上げているかのような、台風15号もそうでしたが、天からの戒めのような。

それを感じつつも、いま自分が出来るのは目の前にあることだけですので、これを精いっぱい、全力で頑張っていきたいと思います。

そのような形で私も仕事に全力で邁進していましたが、この時期は鑑定もさらに忙しくなってきており、毎日その重圧は感じつつ、しかし必死に生きているので、1日1日がまさに飛ぶように過ぎていったこの9月だなぁ、ということを実感していました。ついこのあいだ9月のカレンダーになったと思ったら、もう10月のカレンダーか・・・、という風に・・・。

このブログも、本当は今度こそ1か月くらい延期したかったのですが・・・。とは言っても、もしそうしてしまったら、果てしなくズルズルと流れていってしまうことは明白ですので、このルーティンだけは水際で守らねば!という想いで書いています。今月こそは短くなるかもしれませんが、お許しください。(^^;)

さて、今回はこの「十干十二支氣学講座 鑑定師育成編(中級編)」の中で、受講生の方に内容をお伝えしていた時に感じたことを、少し述べていきます。

今月のお題は、「相談事は、相手のタイプを細かく見てみなければ、本当に心に届く回答はできない」ということです。

これはどういうことかと言いますと、よく雑誌や週刊誌で、著名な作家が、読者からの質問に答える欄がありますよね。そういった読者相談の欄も占い鑑定もそうなのですが、結局、相手のタイプを見なければ、真に的を得た返答はできないということです。

大体読者からの相談に、著名な作家が答える欄を見てよく思う事は、自分の経験や体験、考えなどを基にして「その作家ならば」というスタンスで答えているということです。

確かに雑誌で連載を持つくらいの作家であれば、個性的に生きてきたり自分のポリシーを持っているから、こういう風に面白い答えを考えるよなぁ・・・、ということで、ある意味読んでいて納得ではあるのですが、私も最近は占い鑑定師としての経験が増えてくるにしたがって、「でもそれって、どうなんだろう・・・」という風に強く考えるようにもなってきました。

読者からの相談の内容が、もし仮に「彼女に告白できない」ということでしたら、作家がパワフル系の人であれば、「思い切って、あるいは気軽に声をかけてみたらどうか?」という風に答えるでしょう。

または、読者からは「何事も根気が続かない」という悩みがきたとしますと、作家は、「好きなことをやれ。」とか「やりたいことが出来るまでは色々なものを見て回れ」という風に言う時もあります。

しかし、それが質問をした繊細な読者のタイプに合えば良いのですが、もしもパワフルな作家とは真逆なタイプだったら、そのアドバイスは全然的外れなものとなってしまいます。

四柱推命で言えば、身弱(みじゃく)タイプの人に、身旺(みおう)タイプの人ならこうする、的なアドバイスはナンセンスですし、九星気学でしたら、あくまで分かりやすい例としては、九紫火星タイプの人に、一白水星タイプの人へのアドバイスをしても、まるでその違いは火と水なので、合わないどころか、有害なアドバイスともなってしまいます・・・。

つまり、「自分だったらこうする」という尺度を持って相手にアドバイスしたとしても、それが相手に合ったアドバイスでなければ、むしろとんでもない的外れなことにもなるのです。

皆さまも経験があると思うのですが、最近はインターネットでネットサーフィンをしていますと、例えば腕時計を買いたいと思って探していろいろと調べているうちに、なんだか自然とページに出てくる広告も腕時計ばっかりになってきたり、スーツケースを調べていたら自然とそういう商品が出て来た、ということもあるかもしれませんが、それと一緒です。

これはインターネットを見た際に、そのページの情報がパソコンの中に蓄積されて行って、それに応じた広告ページが出てくるようになっているからなのですが、その方がその人が欲しいものと重なっている分、モノが売れるようにもなってきているのです。

もう昔のように、一律全体にテレビのコマーシャルで大きく情報をバーンと出しても売れなくなってきているので、個人向けに一人一人に合った広告を出すような時代になってきています。

これは音楽の売れ方についても同様で、価値観が多様化してきているので、昔のように大きなCMを打ってミリオンヒットを連発、という時代ではないのです。今はCDではなく、音楽を1曲ごとにお金を払ってダウンロードするのも古くなり、ストリーミング配信=月額固定〇千円で数千万曲聴き放題、という方式になってきているのです。

そしてこれは、占い鑑定などの、運命学でも同じようなことが言えます。

血液型占いでも、A型だったらみんな真面目、B型は独善的、O型は感情豊か、AB型は変人。なーんて決めつけても、全員が全員、当たっているはずはありませんよね。

九星気学でも9つのタイプだけで分けて、生まれた年の九星=本命星が、五黄土星だったらみんな暴れん坊で、首相か乞食になるタイプか?と言っても全然そんなわけはありません。小学校の時、同じ学年の人がみんな五黄土星なら同じ性格だったか、というのと一緒です。

しかし確かに、今年の生徒は二黒土星の年生まれなので穏やかな人が多いが、昨年は三碧木星の年だったので騒がしかった、というのはあるかもしれませんが。

とはいえ、その年生まれの中でも、月や日や時間の要素によっての違いは明確にあります。なので簡単なカテゴリ分け、九種類とか十数種類で分けるということ自体がナンセンスで、これも昔の全体的に一律でどう、十把ひとからげ的にまとめて出すしかない、情報自体が少なく、メディアの多様性もなかった時代のやり方なのです。

大殺界だったらみんな悪い時期、とか、天中殺の時には黙っておとなしくしているしかない、など。これもまた同様で、迷信に近い確率でしかありません。

大殺界の時期でも、その時期が本当に悪い人もいれば、普通の人もいたり、時にはその時期が開運期の方もいらっしゃいます。

なので大殺界や天中殺、空亡のように、生まれた日の天干と地支(日干と日支)の機械的な組み合わせから簡易に出す空亡をそのまま信じてしまうと、わずか60種類の干支の中だけから空亡と呼ばれるよくない時期を機械的に信じてしまうことになりますが、そんなことはなく、本当のプロは、空亡をそのまま使う人はまずいません。

もしそういった人がいたらアマチュアか入門者、もぐりの占い師とでも言うべきもので、他にもやたらと月支の蔵干を絞り込んで月支の通変星のみで傷官だからとか正財、偏官だからどう、とか。または十二運星で墓や絶だから弱い、帝旺だから強い、など。

あとは納音(なっちん)で沙中金(さちゅうきん)だからどう、など「一部分」を取り出してみた方が初学の時には分かった気になりやすいのですが、それだとかえって変な癖がついてしまい、あとから直すのにとてつもない努力を要する、ということもあります。

これはゴルフやテニスなどの、スポーツのフォームでも一緒だと思います。何事も最初が肝心、最初に教えてくれる人の力量が大事、ということかもしれません。

もっと簡単に言うと、先ほどの血液型占いでもそうです。A型の中にも真面目な人もいれば、不真面目な人もいて、時には変わり者もいるということです。私などは血液型ゲームをやりますと、本当はA型なのですが、むかしある時期はほぼ毎回、AB型と出てきていました。でも最近は、またゲームをやるとA型に戻ってきていますが。(!?)

ですので人はそれぞれ多様に違いますし、廻りくる運勢によっても内面でどの要素が出てくるのかは大きく変化しますので、本当にその時々で細やかに見ていかなければならないですし、吉方位もそうです。

もともと持っている資質だけではなく、廻りくる運勢の大運や歳運も考慮して吉方位を出していかないと、吉方位とはその時々での運勢のお薬、サプリメントのようなものですので、汗をいっぱいかいている時か、それとも寒いところで体がこわばっているか、など自分の状態によっても求めるものは違ってくるからなのです。

そのためにとても役に立つのが、「生年月日」から内面を読み解く命術(めいじゅつ)、命理学(めいりがく)と言われる運命学です。

これは洋の東西でいろいろありますが、私の場合は四柱推命と九星気学を、十干・十二支・九星で、それぞれの角度から観て、全体の鑑定結果を一つに融合させて観る「十干十二支氣学」で鑑定していて、いよいよその奥深いところ、核心中の核心をこの秋の講座で今現在お伝えしていた、ということでした。

ギリシャのアエスキュロスは、「性格は運命なり」と言っていますし、

マザーテレサは、
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」
とも言っています。
 
仏教では「一念三千」とも言っていますが、これらすべてのことは何を言っているかと言うと、その

 

「自分で自分を縛っている心の手綱を今すぐ解き放てば、すぐにでもうまくいく。しかしそれがすぐできないから、人の心はすぐに変わらないし、運命も変えられない。」ということだと思うのです。実際に私も鑑定をしていると、そう思うことがよくあります。

そうやって人様のことを観させていただくと、いかに自分が今与えられているテーマを謙虚に見つめ直して、そこに対して素直に少しでも多く実践していくことが大事か、が分かってきますので、人様の鑑定をさせていただくだけでも、自分自身の内面の学びにとてもなるのです。
 
なので運命を良い方に変えていくには、日々の行動や習慣化を通し、また周りの人を通じて自分を鏡のようにも見て、そこからじっくり変えていくしかありません。そこにさらに十干十二支氣学による運命の調律法を用いると、最も細かくその方の性格や運勢、持っている資質で多いところと少ないところ、どこが全体のバランスを取るポイントなのかも分かってくるので、最短距離で物事がうまく行く道も見えて来ます。
 
逆に、ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでも車は進みません。ブレーキを離しながらアクセルを踏んでこそ、車は前に進んでいくというものです。
 
また別な角度から、「運命は性格なり」ということを分析していきますと、今物事がうまくいっていないことがあるとすれば、それは自分がそのように選んでいるから、なのです。誰のせいでもない。自分自身で、自らそれを選んでいるからこそうまくいっていない、その手離せば楽なのに、でもどうしても自分を変えられないから、ということも鑑定をしていると明らかに観えてきます。
 
鑑定というものは、自分がやっているように見えて、実際はさせて頂いているもので、仕事もそうですが、誠心誠意やっていれば、側面からのご褒美というものもあるものです。
 
それが、謙虚さや素直さって本当は一番大事なのかも・・・、という気付きでもあったりするのですが。これは占い師をやっていると深く見えてくることなので、これをもし深く共有していただくのであれば、皆さまももう占い鑑定師としての大事な気付きを得たことにもなります。
 
さらには、鑑定を受けて頂いてその年その年のテーマを深く認識し、こうしたほうが良いのかも、と意識してその時を過ごしていくだけでも、これだけでも随分ともう半分以上開運に向かっていると言っても過言ではないくらい、大事な気付きを得たことにもなるのです。
 
こういった運命そのものに関することは、本来なら一生かかってもなかなか知ることができない、貴重なものです。全部自分で一から学んで、その法則性を得て楽に生きられるようになろう、と思っても、もしかして一生を通じてようやく、人生が終わるころにそれを体得できるかもしれませんが、それでは遅すぎます。
 
で、あれば、これまでの先人たちの遺産である、ここまでの人類が築き上げてきた叡智を、ギュッと濃縮したものを一気に学んだほうが早いというものです。そこにこそ、人間の学ぶことが出来る尊さ、意味、があるわけですから。
 
その学びを例えると、人に廻りくる運勢はまさに大自然の変化のようなもので、この「日本の四季折々の大自然の変化」に思いを馳せることが、四柱推命などの運命学の一番の上達法であり、人生上に起こりうること、またはほかの人との相性を見る際にも、一番の近道となるのです。なぜならこの大自然の営みに、宇宙の法則が表れていて、天地自然の法則を教えてくれているからです。
 
四柱推命で言えば、先ほどのように、分かりやすいけれども大雑把すぎる、空亡や大殺界、天中殺などをことさら取り上げてみても、実際の鑑定ではまれに当たる時もありますがいつもは当たらないですし、九星気学の本命星だけで性格や運勢を見ていっても、これも当たらないのです。

 

ただし中身の干支まで見ていけば、この空亡の時期が良い時期か、それともそうでない、本当に不安定な時期なのかもわかりますので、そこまで見れば空亡も真に活用できるのですが、世の中の大体の見方は得てしてよくない時期、という風に見て消極的すぎる考え方になってしまっていますので、そこが問題なのです。

なぜなら今の空亡や天中殺、大殺界などの見方は、調べる情報があまりにも狭い一部分のみだからで、現在の本命星だけで見る九星気学の吉方位の出し方にも、これもまた致命的な欠陥があるのと一緒です。

なので、もし九星気学を活用する場合は、せめて月命星や日命星、傾斜宮も加味して、全体を観ていかないとかえって危険です。

 
そうして細かく見ていけば、見ていくほどに必ず必要な情報が、まるであぶりだされるように浮かび上がってきます。ではそうして運命学で、詳細に自分の持っている性格や運勢が分かったあとはどうすれば良いかと言うと・・・
 
今後は如何にすれば、自分の持ち味=ポテンシャルを最大限発揮できて、結果を良くしていけるか、にまで結び付けてこそ、調べた意味が出てきます。知って満足しただけではダメで、それを本来予定されていたところよりも、もっと良いものとするために活用していかなければ、何の意味もありません。悪いことだけ知って、でもそのあと何も動かなかったというのであれば、むしろ知らない方が良かった、ということにさえなりかねませんので。
 
会社に勤めている営業であれば、商品の情報だけをお客様にお伝えしてもダメで、いかにこれを活用してお客様の仕事の効率がアップし、その結果 売上が上がって会社がよくなっていくお手伝いが出来るかどうかが大事なのと一緒です。
 
それをお客様と共に、自社も喜び、協力会社の皆さんにも喜んで頂ける仕事を「三方良し」の心でやっていくか、に結び付けなければ、その知識にも意味はないということです。
 
この古来からの叡智である運命学で自分を知り、他人を知り、その上で廻りくる運勢を知るということは、これからの良い行動で未来をより良い方向にも変えていける可能性を得るということですので、素晴らしく価値のあることなのです。
 
それを感じて頂いている、毎年私の鑑定を受けてくださっている方の中には、私が毎年徐々に鑑定する角度を付け加え、加筆、更新している鑑定書の細かな部分を全て、鑑定が終わったらその足で喫茶店に行って腰を落ち着け、過去の鑑定書と見比べて、どこがどう加筆されたのかをなめるようにチェックするのを楽しみにされている方もいらっしゃいます。(´▽`;;)
 
こちらとしてもそれは鑑定師として嬉しい限りなのですが、しかし漢字の変換ミスなどで間違っているところがあるとそこも逐一バレてしまうので、本当に毎回が真剣勝負とも言えます。
 
私も常に、そういった攻めの姿勢で、道なき道を切り拓いてきました。学んだあとは実践によって、つまりレシピを見たあとに料理を作るかのように。
 
ですのでこれまで運命学を大なり小なり学んできた方は、これからさらに十干十二支氣学による方位採りを試していって頂ければと思っています。
 
また、その運命学を学んで自分が実践していったら、今度は周りの方々の幸せにお役に立てるように他の方を鑑定していくと、さらに喜びも広がっていきます。
 
こうした運命学の叡智を用いて人様の喜びに貢献させて頂けた、と思える鑑定が出来た時には、もう本当に心の底から「嬉しい~!」という、まるでハーゲンダッツのとろけ食べ、ではありませんが、本当に心の底からとろけそうなくらいの喜びが湧いてくるものです。
 
これは他のどんな喜びよりも大きなものだなぁ・・・と本当に感じており、もうこれを知ってしまった以上、運命学を用いて人様の魂の根本、一番の奥底に働きかけて良き人生を歩んでいただく開運法や行動をアドバイスすることは、今後もずっと一生やり続けていきたいなぁと思っています。
 
もちろん今ここにいるのは、過去約20年間の会社員勤めをしながら鑑定の努力を重ねてきたからこそ、今があるのですが。。。
 
今現在は、過去の10年前が作っている、とも言います。私もあの頃は今こうして専門で占い鑑定師を、しかも結構忙しくやらせて頂いているとは思わず目の前だけを見て、しかしサラリーマンの仕事をしながらなんとか時間を捻出して、週末起業・副業的に、夜や土日にも眠いところ頑張って鑑定書を作成し、鑑定をしていました。喜んでいただける鑑定が出来た時の、何よりも大きな喜びを胸に抱きながら。。。
 
ですので、前の私もそうですが、いきなり今すぐ最初から思った通りの環境にはいきませんが、その時々で許される範囲内で、ベストと思われることを誠意をもってやっていけば、早い遅いはあってもいつかは必ずその道にたどり着くはず、と思っています。
 
私の場合はその情熱、というか執念深さ、負けず嫌いのエネルギーだけは誰にも負けないと思うくらい多くあったので、それを頼りにやってきたようなものなのですが、これも会社勤めの職種で言えば、「営業」という職種、しかもサッカーで言えばフォワードのような最も攻めの箇所でやっていくことが実は向いている、というのと合致していたので、良かったのです。
 
この最も深い部分に切り込んでいく攻めの姿勢は、今は九星気学業界、または四柱推命業界でも、既存の古い体制の箇所に関して新しい方法を提示する、ということでやってきていますが、やっていることは昔と変わらないなぁ・・・と思っています。
 
結局人は自分というスタイルはなかなか変えられませんので、それであれば自分に合ったスタイルや環境を徐々に粘り強く構築していって、そこでやっていけば良いだけなのだ、という風にいつも言っていますし、運勢の追い風に乗るには、シンプルに「自分を知り、自分に合った行動をする」ことが大事なんですよ、ということをお伝えし、自分でも実践してきて今現在こうなってきている、ということなのです。
 
そのように、見えない世界から人の内面や未来を、生まれた時点で持ってきている星をもとに読み解いていきますと、いまが追い風か向かい風なのか?いつチャンスが来るのか、どんな職種や業種が向いているのか、も深い部分から観えてきます。ですのでこの十干十二支氣学の知識を用いれば、自分はもちろんのこと、うまく活用すれば、人様も救っていく機会を得られるのです。
 
さらに分かることとしては、大きな運気の変化がいつ来るのか、も観えてきます。そして私もそうだったのですが、これまでと比べて大きな変化が来て、これまでとは違った気が大きく来る場合には、いったん心にも体にも、それを受け止めるために負荷がかかるので体調を崩しやすいというのが、シグナルとして出てきやすいということもあります。私自身も振り返って見れば、2019年の2月の節入り後の時もそうでしたし、それをもっとさかのぼれば、2015年の時にもそうで、久しぶりに大きな風邪を引いたものでした。その時が要となる、大運や歳運の切り替えの年でしたので。
 
あとは引っ越しや吉方位旅行などでも、それまで採ってこなかった開運の気を一気に大きく採り入れると、体調面で例えば木気の場合は体の左側、左腕とか左肩とか左腰、または耳や鼻など耳鼻科系などが痛くなったり、という風に特定の現象として出てくることもあります。
 
しかしこれも新しい気が体に馴染んでくれば消えていくのですが、いわば体が硬かった人が急にストレッチをするようなもので、ストレッチはゆっくりとやるか、体が筋肉痛になったら頑張り過ぎずに横になるか、などという風にしていくと良いということも、今では何度も同じようなことを味わってきたので、経験則的に分かってきました。
 
あとこれは同じように、土用の期間前後の時にも、大運の変化、歳運の変化の前後と同じように出てきやすいです。時期は短いのですが。
 
いずれにしても体は「器」、または「筒状のもの」と考えて、その時々でやってくる気が中身に足されて入ってきたり出ていくので、それら新旧の違う気が入り乱れているときには一時的に調子が出なかったり崩れやすいですし、もともと持っている自分自身の個性としての気と親和性があるか、それともバッティングする気が運勢で来ているのか、ということも見て、いずれにしても無理せずに調子を合わせていくと結果的には一番スムースに行きます。
 
物事はなんでも少しずつやっていくのが良いので、一気にやるとかなり負担も掛かるということも観えてきました。しかし私はこう見えて一気にやっていきたいタイプので、これまでずいぶんと体には負荷をかけてきてしまい、多くのエネルギーも消耗してきましたが、そこで得たものは皆さまに最短距離で開運していただけるようお伝えできているので、人生全てに無駄はないなぁ・・・とも思っています。あの頃はそこまでただ感謝、という大人なことは考えられませんでしたが、今はようやく、自然とそう思えるようにもなってきました。。。
 
ということで、人はいきなりすぐには大きく変わりませんので、本にも書きましたが、まるで船の舵を切ってもすぐには船の進路は変わらないようなものですが、しかしそれでも後になるほどに大きく進路は変わっていきますから、最初からすぐに結果が出てこなくても倦まず弛まず(うまずたゆまず)、商売を「あきない」というように「飽きないで」継続していくことが、結果的には最短距離で望みをかなえる方向に向かっていくことにもなるのです。
 
ですのでまずは大きな方向性を知ることのみはすぐに実行した後で、目の前のことをやる時には焦らずゆっくりと、決して目の前だけ見てその逆にはならないようにしながら行くと良いのでしょうね。
 
この人生という道も、100メートル走ではなくマラソンレースですから、息切れしないペースで自分に合ったスピードで、しかし油断はせず自分のペースで走っていけたら、今はランナーたちの中盤にいるなーと思ったらいつの間にかトップ集団に入って来ていた、ということもあるかもしれませんから、引き続き中・長期的視点を持ちながら、お互いに励まし合って、頑張って走って参りましょう~!
 
・・・っと、今月も色々と書いてきたら、最初は短く終わるかも、と思いましたがなんだか意外と文章量も多くなってしまいましたねー (= ̄▽ ̄=)
 
オオカミ少年と言うか、おにぎり怖い、のようになってしまいましたが、書いていると筆が止まらなくなってしまうところが私の良いところでもあり、悪いところなのかもしれません。。。(良いことではない、と思った方がいるかも・・・。)
 
あとはまた来月号も、月末までには書けるよう頑張りますので、皆さまも徐々に見えてきた年末までに向けて、徐々にスパートを掛けつつ悔いのないよう、大いに頑張って参りましょう!!!
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