これは私のいつも仕事をしているデスクに置いてある開運風水グッズで、蓮の花がクリスタルで形作られています。なぜ蓮の花なのか?またなぜ常に見えるところにこれを置いているのか?という理由に関しては今回のブログの記事の内容とも関係していますので、後ほど記事の中に書かれているところをご覧ください。
こんにちは、笹木です。
今日はもう3月31日、今月も最後の日ですね。
そして今日が終われば、1年の約1/4がもう終わってしまうことになりますね。。。そうやっているうちに今年も「アッ!」という間に終わってしまうかもしれません。(^_^;
しかし明日の4月1日は記念すべき日で、AM11:30からは平成に代わる新元号も発表されます。新春の季節とも相まって、気持ちもとても新鮮なものになっていくでしょう。
さらに今日は日曜日でしたので、桜もこのところの花冷えでまだ開花していますので相当な人も出ていましたが、まだ寒いのでこういったところで冷たいビールを飲むと体が冷えるのではないかと、道すがら心配していました。明日の出勤の時には風邪を引かないでいてもらいたいなぁ・・・、と思います。
私の方はと言いますと、3月16日のセミナーも終わってホッと一息ついてきましたので、今度は4月からの講座に向けて体力の充電を図るべくあまり無理をせずゆったり目な日々を送ろうと心がけていました。
しかしながら今までテニスのレッスンを休んでいた分が基本的には3月末までしか使えず、もったいないので8日間で5回というハイペースでこなしていたため、なんだかセミナーの準備期間以上にかえって疲れてしまっていたという昨今でした・・・。
4月に入ったら今度こそ!ゆったり目に過ごして体を休めて充電を図ろうと思っていますが果たして大丈夫でしょうか・・・
本当は今日も、もう3月は前回のセミナーの感想記でアップしたのだから3月末は書かなくてもいいかなぁとか、次の記事を4月1日にアップすればさいあくは5月末までブログを書かなくてもいいかもなぁという誘惑にも駆られたのですが、いやいや、しかしこういったときこそが大事なのだ、という風になぜか思ってしまい(西北の吉方位効果に導かれているからなのかも、と思いましたが・・・)、なんとかこの3月31日中に間に合いましたので、今回も締め切りギリギリでしたがアップさせていただきました。。。
さて、今回はちょっと深いお悩みというかご相談があったので、それに対して私がこう答えたということをテーマにブログを書きたいと思いました。きっとこれは皆さまにも役立つ内容だと思いますので。
先日、こういったご相談がありました。
昨年に私の講座を受講してくださった受講生の方が、学びを深めるために最近 鑑定や人様のお悩み相談を受けるようになってきていたのですが、そこである相手の大きな悩みを一時間くらい深く聴くうちに、その深い悩みの言霊と一緒に邪気も入ってきたようで、その後からしばらく左首が回らず左肩が重くて、気持ちも沈みがちになるので「もらってしまった感」があった、ということでした。
その方は近くの良い神社に行ってお祓いをしてもらったということでその後しばらくしてから良くなったとのことだったのですが、こういった問題は同様に占い鑑定やスピリチュアルワークに携わる者にもついてまわる問題ですし、もちろんそれ以外の仕事でも日常生活を普通に送っていたとしても、時に会社の癖のある人からよくない波動をもらってしまったり、お客様などで会って話して具合の悪くなるような相手というのも確かにいると思います。私もこれまで、どこに居てもこうしたことは経験してきました。
そういったときには、どうすれば良いのでしょうか・・・?
こうした問題は特に今の私のように占い鑑定を通して、人様に元気になってもらうことをやっている人にとっては避けられないことなので、なおさら昔から長い期間を掛けて、あらゆることを考えてきた問題でもあります。
私が占い鑑定を始めて最初の時ほど、鑑定が終わった時にはがっくり来ていたものですが、今はそれもだいぶ慣れてきてあまり(全くではありませんが)不調などは感じないようになってきましたが、今から十数年前は特に大変でした。。。
そのように長い時間をかけて、自分なりに最も良いやり方を構築してきて今に至るのですが、今月号のブログの冒頭の画像にも、意味があったので今回は載せました。
まずはこれを乗り越えるための結論としては、一言で言うと「気持ちの上での結界を張る」ということになり、それは肉体次元の気と、精神次元の気との両方の面で、ということです。
言い方がカッコよすぎたのですが、要は非常に具体的に言いますと、まずは最低限 邪気を受けないためには、3無い運動とも言える
・共感しない
・興味を持たない
・同情しない
を意識するのが良いのです。
また言い換えれば日光東照宮のお猿さんたちのように
・見ざる
・聞かざる
・言わざる
といったように五感で享受する情報量をなるべく遮断する、ということになります。
交通事故などがあった交差点で花が供えてある風景もたまに見ますが、そういったところではなまじ同情して手を合わせたり、「つらかったでしょう、痛かったでしょうね、可哀想に」などという想念も向けない方が良いのです。それは一見優しい行為のように見えていながら実はそうではなく、無邪気な善意が逆に自分を苦しめることにもつながりかねませんので、別に冷たいということではなくて、お互い節度を持ってそれぞれの世界に居た方が良いということもあります。
向こうとして見れば、「なんだか自分のことを観てくれて手を合わせてくれたので憑いていったら、その人の方に乗っていたらだんだん顔色が青白くなってきて倒れてしまった。。。でもそのあと俺がどうすれば良いのかは面倒を見てくれない。俺はどこに行ったらいいんだ~、困った、助けてくれ~。。」ということにもなりかねません。
ですので、よっぽど自分がその相手の面倒を責任を持ってみる覚悟があるのだったらいざ知らず、中途半端な念で接してしまうのはお互いにとってよくないのです。もしも自分がよくない想念の重さにやられてしまったら、今度は自分と常日頃接している仕事上の関係者や家族などの周りにも迷惑をかけてしまうわけですから。
世のため人のため、社会に貢献し人々を救う。そのまず最初の一人目は自分自身なわけですから、自分が出来てもいないのに周りを救うことはできませんので、最低限周りに迷惑を掛けないような自分をキープすることは決して冷たいわけでも悪いわけでもないのです。
それが出来たら、今度は人様に対しての貢献をメインにした仕事や趣味、週末起業・副業などのスタンスを採って実践していけば良いのです。
まずはそういった当たり前すぎるくらい当然のところから入っていきつつ、次には具体的なテクニックに入っていきますと、
・カッコよく言うと「固有結界=目の前に意識の壁を張る」ということになります。
初歩的な方法としては、目の前の人と自分との間にはガラスの壁があって、それによって空間が区切られている、という風に思い描いて接していくのです。
これについては昨年の中級編の講座でも少し話したのですが、「GReeeeN」というアーティストの2007年に発売された第3弾シングルの「愛唄」という歌が非常に参考になったことがありました。
私がまだ邪気払いを模索していた時に、テレビでこの歌のMV(ミュージックビデオ)が流れていてふと見ていると、若い男女の間にガラスの板があって、そこを隔てた間で見つめ合っている、というのを観てこの方法をひらめいたのです。
参考までに「GReeeeN – 愛唄」の動画も貼り付けておきます。☆
ちなみに私は全然「GReeeeN」のファンではありません、このためだけに貼り付けました。
でも久しぶりに聞くと、やっぱり懐かしいですね。。。(^-^; )
55秒を過ぎたところくらいから、その例のガラス板が出てきます。当時はこのMV(ミュージックビデオ)を観た時には、「これだっ!」と思ったものでした。
あの時、こうした観点からこのMV(ミュージックビデオ)を観ていた人というのは、世の中でもそうはいなかったと思いますが・・・(^o^; )
そのように、相手と自分との間には絶対障壁があると意識する。またはお互い別なキューブ状の別々な空間に分かれて存在しているのだと意識すると、かなり邪気の影響は防げるのです。目に見えない世界というのはまさに想念の世界ですので。
さらにそのあと、この上級版として思いついたこととしては、自分自身がガラスのように透明になって、あらゆる気が自分を通り抜けていく、何物も自分の中には残らず素通りしていく、という風に念じることによって、ものすごい邪気も感じないようにして行くことが出来ました。
では現在はどのようにしているか、と言うと、今はそういったテクニックは何も使っておりません。
ただあるがままに、ありのままに、相手の方と楽しく共感しながら話しているけれども特にこちらに邪気は感じない、という風になってきていました。
これは私のところに来てくださる鑑定のお客様自体が良い方々ばかりだからだと思うのですが、それ以外に私もこれまでの年月の中で経験とともに鍛えられてきた面があるかもしれません。なのでもうあまり意識しなくても、相手の方とのちょうど良い距離感がおのずと図れるようになってきたからかも、とも感じていました。
これも前のブログでお伝えしたように、「守・破・離」のうちの、破か離の段階に近づいてくると、良い意味での「自然体」の段階に徐々にキープできつつあるのかもしれません。
そのようにたまに相手からの邪気を多くもらいそうな場合には、自分との間に透明な壁をイメージして気の交流がブロックされているように意識の上で結界を張ったり、あとは自分自身をガラスや空気のようにして相手からの邪気を素通りさせる、ということも悪い気を受けないためには有効な方法です。
そしてよくない気の影響というのは、何も他人からだけやってくるものではありません。自分自身の中から浮かび上がってくる時もあります。
例えばそれは、ものすごく良い吉方位旅行に行った後などに、あく出しなどとして出てくる時などです。
特に十干・十二支を合わせて良い九星の象意の廻っている吉方位に行った場合には、もし開運を受け取るための実力が足りない場合には、まず魂の成長を整えるための環境が時に引き締めの作用と共に用意されて、そこが整ってから満を持しての開運が得られるということもあります。
私は昨年からはほとんど西北にしか行っていないような気がするのですが、2018年は西北に引っ越しをし、2019年は2月にも長野に吉方位旅行に行って、戸隠神社や善光寺などに行ってきました。
西北はご存知のように厳しい方位でもあるのですが、例えば開運を受け取るための魂の成長を導く作用としては、
西北であれば厳しいコーチか環境からしごかれて、その代わり大きく成長できるように導かれたり、
東は身の周りでの起きてくることや仕事面などがとても忙しくなって、過去の自分では廻しきれないようなボリュームのことをがむしゃらにこなしていくことでの成長からくる評価運や金運、人間としてのステージアップがもたらされたり、
東南でしたら人の相談に乗ったり面倒を見ることによって、自分自身にも対人関係面で良いことが起きてきて、たとえば嫌な人が離れていったり良い人とのご縁が深まったり、
南でしたらこれまで悩まされていた人が離れていったりケンカして疎遠になることによって、今度は良いご縁が結ばれる。その際にはいったん出てくる争い的なことはあえて避けずに向き合った方が良い、ということにもなります。
西に関してもそうで、いったんゴタゴタが出てきてその後の環境の変化によって金運が上昇したり、時間的な余裕が出てきて楽しいことに費やす時間が増えて喜び事が多くなる。
東北は停滞と革命。いったん物事がうまくいかなくなることが起きてきた後で、一気に大胆な改革や変革を実践せざるを得なくなり、そうして根底から物事が一気に、そしてゆるぎなく良くなる方に向かっていく。
北も悩みや、隠れたところからの始まりだったり、
西南も堅実にコツコツと粘り強く努力を重ねていくことで、道が大きく開けていく。
といった風に、上記のことはすべて例えばの一例ですが、みなそれぞれの方位の特徴にあった吉方位効果を通して出てきます。
逆に言いますと自分でも方位の働きが分かっていて合わせられたら効果もより高まります。例えば東でしたらなるべく生活スタイルを朝方にして午前中から若々しさやフレッシュさを意識して忙しくするよう心掛けていると、その忙しさとともに金運も高まってきます。
ですので仮にですが、もし東の吉方位を採っても夜型だったり忙しくせずにゆったりまったり的な、東の吉方位効果とは真逆な生活を送っているとその効果は受け止めにくい、素通りしやすいという風にもなるのです。
そのように方位には全て特性がありますので、何も考えずただ行くだけでプラスなことが起きてくる、とか良いことが起きてくるわけではありません。もちろん多少はありますが。深くこちらが意識してこそ深く受け止められるのです。
西北だったら新しいことに取り組んで自分の限界にチャレンジしてみようとか、それぞれに合った日々の過ごし方をするほどにますます吉方位効果も大きく受け止めることが出来るでしょう。
吉方位効果とは、今の世間一般の九星気学が言っているように、人生の本義や本当の幸せとは何か?魂の成長と運命のかかわりとはどういったものなのか?といったことはまったく無視して市販の本レベルで言われているように、ただ行けば良いことが出てきて人生が幸せになる、と言っているような単純なものではないからです。
我々が吉方位を採ったからと言って、テニスで錦織圭選手に勝てるかと言ったらそういう訳でもなく、東大に受かるための勉強をしていないのに東大に受かるというものでもありません。
しかし我々が持って生まれた運勢と性格を読み解いたうえで、きめ細やかにそこを最も良い形で調律してくれる良い気を厳選し、それが吉方位として廻っている方位になるべく長く、なるべく遠くに行ってこそ大きな効果が出てきます。
もちろんいつも長く遠くに行けるわけではありませんから、「その時点で許されている可能な範囲」で努力を重ねていくことが貴いということです。そうして頑張った分は必ず報われます。
話を戻しますと、そのように邪気には他からやってくるものと、自分自身が良い気を採って今後の良き未来に進む過程で、過去の衰運への揺り戻しとがはっきり分裂する際に出てくる邪気の2種類があると私は思っています。
そうして、もし自分が内面が暗い気持ちになったり、肩や首が痛くなるなどの体調がよくなくなった時にやれることとしては、またいくつかの方法があります。たとえば・・・、
・良い神社に行って、神職の方に祝詞を上げて祈祷してもらう「正式参拝」を受けてくる。その際は神職の方が紙でできた大麻(おおぬさ)をもってこちらに来て「ご低頭ください」と言われたときになるべく頭を深く下げていると良い。人は邪気が首の後ろから肩あたりにかけて付きやすいので、なるべくそこがご神体から見えるように頭を深く下げて「サーッ、サーッ」と右に左に祓ってくれる際にはそこに風が当たりやすいように、です。私もいつもそうしています。
・自分が見ていて、心が上がる開運風水グッズ的なものを身近に置く。
・自分にとって気持ちが上がって開運をもたらす場所、海や川、山や林、遊園地などに行って外からエネルギーを補充する。
などなどです。
冒頭の蓮(ハス)の花のクリスタル製品にも意味があります。私はレインボーのものを買ったのですが、ほかにもいろいろとありますので参考までに見てみてください。誰かへのプレゼントにも良いかもしれません。ちなみにこの写真はちょっと鮮やかに加工しすぎで、現物はもっとあっさりしたレインボーですが、それはそれで気に入っていました。(´ー`)
お釈迦様が座っている絵や仏像の台座には蓮の花があるのはなぜか?ということに関しては、仏教の教えそのものを表しているとも言えます。
この世の中が心のきれいな人もいればそうでない人もいる。良い人も悪い人も、あらゆる人が玉石混交で居るのがこの世の中というものなので、そういった嫌なものを聞いたり感じたりしても、清らかな内面を失わずに、まるで泥の中に咲く蓮の花のように信心を貫いていこう、それが悟りに至る道であるということを思い出させてくれるので、私はいつも仕事場の机の上にはこの蓮の花の形をしたクリスタル製品を置いて、それを時おり見ながら鑑定書を作ったり資料作成などの仕事をしています。
このように、自分にとっての心を上げてくれたり大事なことを思い出させてくれるグッズは人それぞれみんな違いますから、皆さまもご自分に合った、そういった気持ちをアゲてくれるものを持ったり身に付けていると良いと思います。
後は同じことを、江戸時代に名僧と言われた臨済禅 中興の祖 白隠禅師も言っています。「動中の静は静中の静に勝ること百千億倍」という風に。
そういったことも干支、つまり十干と十二支を意識しながら、易経の六十四掛と照らし合わせて吉方位として採っていくと本当にいろいろな気づきや発見があり、それがまたじわじわ蓄積されていくと、大きく自分を成長させてくれる材料となっていたことにも気づきます。
そうして振り返って見ると、自分の内面が変わった分だけ自然と環境も変化して道も開けてきた、というのが本物の開運だと私は考えています。そして自分が頑張って得たものだけが自分が持っていられるものなので、逆に言うとそう簡単にはなくならないものでもあるのです。
これまで吉方位効果を大きく体感していただいた方々も、大体皆さまそのような道のりをたどっていると、鑑定を通じて見てきた結果として思います。
そうなるために大事なのは、「焦らない」ということです。
高速道路を楽に、安全に運転するためには「目線を遠くに置く」のと一緒です。
もし目の前ばかりを観ていたら、右に左にハンドルを忙しく切ることばかりしか頭になく、しかも景色は秒速でどんどん入れ替わっていきますのでハンドリングもとても忙しく、目も疲れてしまいます。あまり目の前ばかり見ていると時にはハンドル操作をミスして、事故ってしまうかもしれません。
そのような時にこそ目線は遠くに置けば、もし遠くに遅く走っている邪魔な車がいれば、今から早めにハンドルを小さく切っておけば、徐々に悠然とゆったりと車線変更が出来て、楽に遅い車を追い越すことが出来ます。
運勢でもそうで、人生全体や10年単位、1年単位のことは十干十二支、つまり四柱推命で観て、細やかなハンドリングは九星の象意を通してみることによって細やかな判断が可能となります。
そうして目の前のことでいたずらに心身を消耗させることもなくなりますので、「焦らずに」今最も自分が必要なことは何か?を着々と行っていけます。
それが未来に対しても一番楽で確実な車線変更となり、目的を良い形で達成していける方法ですので、まさに車の運転と人生の運転とは一緒だなぁといつも思っていました。
走る、曲がる、止まる。
というのにそれぞれ適した時期というものが人生では用意されているように、吉方位採りでもそういった転機を呼び込みやすい方位が開けている時というのもあります。もし走るべき時に止まっていたり、逆に止まるべき時に走ってしまうと痛い目にも会いかねません。
変化のタイミングとは、運勢で言えば「三合」「方合」などが成立する時期、とも言えますが、方位採りで言っても、年盤と月盤で吉方位が重なっているとき、またはその方位採りによって自分自身にも「三合」「方合」を成立させられる吉方位採り、とも言えます。
そういったパワーを増強してくれる方法も用いながら、他人や自分自身の過去の衰運が浮かび上がってきたものに対して、いかに清々しくそれを振り払っていくか?
これについては後は人それぞれ違う出方や感じ方もあるでしょうから、自分自身でいろいろとやってみてそのお気に入りの方法を模索していくしかありません。
自分の中の本当の宝物とは、人から与えられたものをそのまま使うのではなく、自分流にアレンジしてこそ本当の自分のものとなるからです。ただ最初からまったくゼロの状態でというのも厳しいので、最初は良さそうなものを学ぶところから始めるということでも全然大丈夫です。
私はそのお手伝い、運命の調律をしていくというコンセプトは前々から変わりませんが、今回はそういった邪気払いについてこのタイミングでお伝えできましたので、私も含めてみんなで一緒に、明日の4月1日からの新しい年度を清々しく爽やかに迎えていきましょう~! (-^〇^-)