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積善の家に余慶あり 積不善の家に余殃あり(4)

 

 そこで私は「人様のためやご自分の理想のために力を惜しまず全力で日々過ごされるのも良いですが、今後はご自分の体のことも考えて、任せられるところは任せて組織でいうと手足を使うようにし、ご自分は他人が出来ないこと、手足を統率する頭としての生き方をするように切り替えて行くようにしたほうが良いのではないですか? 

 

今後ますますやるべきことが増えていけば、今のように何でもご自分でやるということは出来なくなりますし、体がいくつあっても足りなくなりますよ。」と申し上げました。 

 

完璧主義な方のせいか、なかなかそれが難しいというのは私も言っていて分かってはいるのですが、でも体力的問題も含めいずれ自然とそういう路線に切り替えて行くようになるというのはわかっていたので、一応言葉でもそのように申し上げた次第です。 

 

っと周りからの応援を活かすという点も含め、良い形で仕事のペース配分を切り替えて、やりたいことをバランスよくなされていくようになっていくでしょう。 

 

そしてここからが本題の家系的な話しになるのですが、 

 

「積善の家に余慶あり 積不善の家に余殃あり」 

 

ということは確かに法則としてはあるのですが、これはあくまで原則で、それを凌駕するある特殊なパターンも実はあって、それは何かといいますと「只今に生きる」または白隠禅師の言うところの「動中の静」、つまり「時間を忘れるくらいにその瞬間瞬間に没入する生き方をしていると魂の輝きが発露されて、因縁や悩みの雲も出てくることが出来ない」という法則があるのです。 

 

これが、なぜ一家が病気の方々ばかりの中でこの方だけがピンピンしていたかという答え、結論だったのです。 

 

この方の場合は、まずはもって生まれた強烈な仕事運を若い時から発揮してきた、または発揮せざるを得ない環境にあったせいかそういった因縁はその家系に生まれたため持ってはいたのですが、無我夢中で働いてきてしかも人様のお役に立つ生き方をして徳も積んでこられたため、病気にもならなかったどころか時とともに周りが応援、助力をしてくれるような環境も整ってきたわけです。 

 

この法則があるからこそ、私の座右の銘『時間を忘れているときが一番時間を大切にしているときだと思う』という言葉をいつも大切にしていたいと思っていたのです。 

 

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