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積善の家に余慶あり 積不善の家に余殃あり(1)

 

 こんにちは GWになってもほとんど通常と変わらないペースで生活をしている笹木龍一です。 

 

しかしその中でも、若干今までの自分を振り返る時間は出てきたりして、このようにブログを更新することもできるようになりました。 

 

最近の私の鑑定の傾向としては今までの個人の方の幸せに関するものからより範囲の広い事柄の鑑定へと、たとえば家系全体の因縁を見なければならない鑑定や国際恋愛の相談とか、そういった風に鑑定の幅が広がってきてどれも一筋縄ではいかないものを相手にすることが多く、精神面の負担もかなり大きくなって時おり限界ぎりぎり、ということもしばしば感じる最近だったのですが、 

 

の分大きくお客様のお役にも役立てているのでは、という自覚も感じながら時間があっという間に過ぎていく日々でした。 

 

その中から今日も、最近の鑑定の中から個人名や固有名詞は取り除いた上で人生のエッセンス的なものを抽出し、これはぜひ知ってもらった上で活かしてもらえたらということを述べていきたいと思います。 

 

昔から伝わる中国の古典、儒教経書の中でも特に重要とされる四書五経の中でも最高峰といわれて気学の元になる考え方も書かれている易経という本があるのですが、この中の「坤卦」には 

 

『積善の家に余慶(けい)あり』『積不善の家に余 おう ) あり』 

 

という言葉が書かれています。 

 

これは、今生きているその時代の子孫(先祖から子孫へと連綿と流れていく家系の中で、いまの時代を生きている現役のランナー)が徳や業を積めばそれが家系にも積まれることとなって、先祖から子孫へ流れる家系の中に良いものも悪いものも寸分たがわず積まれていって受け継がれていく、という意味のことが書かれています。 

 

たとえば中国ではその家から大人物を出すために代かけて徳を積んでいい子孫を輩出しようという考え方もあり、さすがはスケールの大きい国ならではだなと思うのですが、 

 

ひるがえって私たちの日本にも目を向けてみてふと思いつくのは、平安時代に栄耀栄華を極めて 

 

『この世をば わが世とぞ思う 望月の欠けたることの なしと思えば』という歌を詠んだ藤原道長は初代の藤原鎌足から数えて11代目だったり、 

 

徳川幕府も初代の家康から数えて、破綻しかけていた幕府財政を再建して江戸幕府中興の祖と呼ばれた徳川吉宗が出てきて立て直しをしたのは8代目の将軍としてだったりとか、 

 

日本の歴史の中でも特に平和が長く300年以上続いてきた平安時代とか江戸時代にこのような、時代や体制を盛り立てる人物が出てきたというのは偶然ではない何かしらの運気の盛衰、必然の動きのようなものを感じ、 

 

こういった大きな徳の流れを感じる家というのは途中で大人物が出てきてその家を建て直したりあるいは繁栄を極めたり、というのが傾向としてあるのではないか?ということをしばしば考えておりました。 

 

今回は長らくお休みしていた分、かなーりまじめな話題に取り組んでます。それが終わったあとは芸能界のやわらかい題材を取り上げる予定ですからこの話題にしばしお付き合いくださいね。この根本的な法則があってこその世の中の栄枯盛衰でもあるのですから。それではまたここをポチッと押して私に元気をくださいな o(*^^*)o~♪  

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