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著書の内容についてのご質問:田中角栄の2015年の吉方位について

Q 笹木先生の著書、新十干十二支気学を読ませていただいて、九星方位気学に初めて触れて、興味深く勉強しているところです。

四柱推命は多少知識がありますが、笹木先生の発明した四柱推命を活用した九星方位気学に強く関心を持ちました。

その著書の中で、何度読み返しても理解できない箇所がいくつかありまして、お忙しい中、失礼ながら教えていただきたく問い合わせをいたしました。

P196~の田中角栄氏がもし生きていたらのところです。

2015年、年盤の西南、西北は金気の方位で、さらに辛と丑、申も金気が強くなるので、吉方位というところまでは、理解できたのですが、月盤の10月、1月が選定された理由がどうしてもわかりません。

凶方位を除いて、西南であれば、4月、10月、11月、西北であれば、2月、8月、9月、11月、1月が吉方位だと思うのですが、10月、1月なのはなぜでしょうか?

三碧木星と四緑木星の木気を採るということでしょうか。

また毎年吉方位が変わる、九星方位気学とは違い、十干十二支気学では、田中角栄氏のように金気が必要な人は、基本的には生涯、西南、西、西北の金気が強まる方位が吉方位なのでしょうか?

宜しくお願いいたします。

A この度の本をご購入いただいたこと、ありがとうございます。

そしてその中をご覧になった上でのご質問につきまして、承知いたしました。

通常は深い知識の背景の説明からは、こういったメールの文章で書き連ねていくのはなかなか厳しいので講座か鑑定をお申込みいただいた方にしかお答えしていないのですが、今回は本の内容についてですのでありがたくお答えして参りますと

「P196~の田中角栄氏がもし生きていたらのところです。2015年、年盤の西南、西北は金気の方位で、さらに辛と丑、申も金気が強くなるので、吉方位というところまでは、理解できたのですが、月盤の10月、1月が選定された理由がどうしてもわかりません。

凶方位を除いて、西南であれば、4月、10月、11月、西北であれば、2月、8月、9月、11月、1月が吉方位だと思うのですが、10月、1月なのはなぜでしょうか?
三碧木星と四緑木星の木気を採るということでしょうか。」

→ かなり深く、この本をご覧いただきありがとうございます。○○様は相当四柱推命にはお詳しく、また造詣も深いと拝見しました。

このことを真に深いところから理解して頂くには、私の講座の四柱推命についてお伝えしている「十干十二支編(初級編)」と、「九星気学編(基礎編)」の両方を受講する必要がありますが、以下に端的にお答えして参ります。

私が西南は、10月節のみ、としていたところ、〇〇様は

4月 丙戌 九紫火星
10月 壬辰 三碧木星
11月 癸巳 二黒土星

も吉方位ではないか、ということですが、

干支による吉方位を出す手順としては、まず四柱推命でその人の五行喜忌を出し、干支の気の木・火・土・金・水のうちどの気を増やした方が良く、どの気は増やしてはいけないか、ということを選別しなければいけません。

そして用神や喜神、忌神を出してから、大運と歳運も加味したあとで、「その時期に」最も必要な干支を採っていく、という流れです。

田中角栄の場合は、用神は金気、他に喜神としては水気と木気なのですが、まず大前提として火気と土気は忌神として、もうこれ以上は増やしてはいけない気と観ます。

ですので、西南の4月と11月は火気と土気の比率が高い星が廻座していましたので、外した次第です。

また西北には、候補月には

2月 己卯 六白金星
8月 乙酉 九紫火星
9月 丙戌 八白土星
11月 戊子 六白金星
翌1月 庚寅 四緑木星

がそれぞれ廻座していましたが、同じように土気の天干である己と戊が廻っている2月11月は除外したいのと、9月の丙戌も西南の時と同じく土気が多いのでこれも除外します。

あと2月や11月はたとえ地支で水気や木気が廻っていても、まずは用神である金気が十二分に通根してから、日主が身弱にならないバランスで水気と木気を採るという五行バランスからの配合比率も考えると、やはり2月と11月も外したい月と考えます。

しかし8月については、吉方位として使えるのではないか、という点については確かにおっしゃる通りです。

西北には年盤では丙申 四緑木星が廻っていましたので、その申と通根させるためには私は天干に庚が廻っている2016年1月の方が良いと思いましたが、8月も悪くはありません。

翌1月の方が庚と、木気の寅も巡っていたので金気と木気の両方を増やせると思い本には書きましたが、確かに8月も吉方位として使えます。

が、より吉方位効果が高いのは翌1月ということで判断して、あの時はそのように記載していました。

三碧木星と四緑木星で木気を採るということでもありません。なぜなら吉凶は、九星の奥の干支から見るものだからです。

水気や木気というのも、九星は単に現象としての姿ですので、本来の水気や木気というのは干支の次元で見なければならないものだからです。

つまり五行の気や命式と廻座した方位に廻っている星との吉凶は干支で見て、九星は五行の吉凶を観るものではなく「あくまで現象としての姿=象意」として観ますので、三碧木星と四緑木星の木気を採るということではないのです。

もし九星だけ見て吉方位採りをしても効果はないばかりか、時には中身の干支が大凶だとマイナスの効果にさえなります。

そのことは私の「ホームページの運命の調律法3種」に詳しく書いていますので、お時間があります時にご覧ください。

また、この九星気学の考え方についてもう少し捕捉しますと、同じ三碧木星でも西北に廻った時と、西に廻った時では象意やその持っている吉凶の出方は違いますし、四緑木星や他の星でも同様です。各九星は、八方位に廻った際にはすべて意味や吉凶は違うものだからで、そのことは気学の原典 易経に書いてあります。

これは講座の「九星気学編(基礎編)」で専門的にまとめて扱っていたのですが、今回はまた別なテーマになりますので、割愛します。

まず干支があっての九星の吉凶ですので、干支が吉であってこそ、その方位に行って吉方位効果も出てきますが、中身の干支を見ずして九星の相生・相剋のみで見た方位採りは、あたかも2階から目薬を入れるのにも等しい迷信的な考え、ということです。

つまり今世の中に広く知られている九星気学には半分は真実と、半分は迷信が混在しているが、みなそのことに気づかず、昔から教えられていることを検証もせずうのみにして使っている、ということなのです。

たまにそのことに気づいて、九星気学による鑑定を止めるところもありますが、本当はその方が誠実、あるいは正しいとすらいえます。

また毎年吉方位が変わる、九星方位気学とは違い、十干十二支気学では、田中角栄氏のように金気が必要な人は、基本的には生涯、西南、西、西北の金気が強まる方位が吉方位なのでしょうか?

→ いえ、それは違います。生涯変わらない吉方位の方位というのはありません。

年々、あるいは月々や日ごとに、年盤・月盤・日盤・時盤ごとに星は常に巡り動いています。

十干十二支氣学でも、定位がもたらすその人にとってのマイナスな影響はあると考えていますが、しかしそれはあくまで「表面にフィルターとして廻座した星」が、「吉方位であれば」その効果を1.3倍~1.4倍に増やす働きをし、逆によくない定位であれば、廻座した星が良い星でも0.7~0.8倍ほどに効果を目減りさせると私は考えています。

具体的には、田中角栄の場合であれば、相性の良い金気の定位である西で吉方位を採った場合には、その効果は1.3倍~1.4倍に増幅され、逆によくない火気の定位である南に吉方位を採った場合は、忌神の要素も増えるのでその吉方位効果は0.7~0.8倍に目減りするであろう、という考えです。西南や西、西北と大雑把に分けましたがさらに細かく言えば、申=西南西も良く、戌=西北西 は多少土気が多いと観ます。

ですので、西だから常に良く、南だからいつも悪い、というわけではありません。

逆に象意としてはよくない五黄殺・暗剣殺・破れなどでも、定位として良い金気の方位である西に行った場合には、凶方位の作用も軽いものとしてある程度抑えられたり、逆に南の火気の定位、田中角栄にとってはよくない要素が多い南に凶方位を採った場合には、相当な凶方位の作用が出てくる、と考えられます。

田中角栄が総理大臣時代にアメリカからの資源外交での独立を図ってかなり各国に短期集中で外遊をした際に、インドネシアなどの東南アジアや、オーストラリアなどに行っていた時には、おそらく凶方位もかなりとったのでしょう。

そのあと顔面神経痛になったことがありましたが、これは南の象意である「眼・心臓・頭・血管」などの箇所に相当負担かかかったから、と考えられます。

しかしもともと火気と土気が忌神であったので、そういった火気の箇所である頭などに負荷がかかりやすかったから、凶方位を採った際には悪い現象として出て来やすかったことと、後年、子飼いの政治家たちに派閥内で独立された時、ストレスのあまりに脳梗塞で倒れて政界を引退したのもそういった潜在的傾向があったから、という風にも見て取れます。

忌神の要素の箇所は、その人がもともと病気になりやすい部分、ということでもありますので。

ということで、今回のご質問に対するお返事をお受け取りいただければと思います

どうぞよろしくお願い申し上げます。