私は今年の2026年の中でも、最も吉方位の効果が強まっている今月の6月中に、東北の方位へ吉方位旅行に行ってきました。
その前に今年はまず、2月に西の新潟県村上市へ、3月には西北の方位に当たる、宮城県と山形県の県境に近い、瀬見温泉に行っていました。
そして満を持して、この6月、いよいよ東北へと向かったのです。
この3回の吉方位旅行に行って、改めてそれを振り返ってみますと、これらの吉方位旅行に共通していた、ある不思議なことに気がつきました。
その写真なども振り返ってみますと、これはとても大きな力に導かれた、素敵な「お導き」だったのだと確信しています。
なぜそう言えるのか、そしてその理由は何だったのか。今回は、その核心についてお話ししていきたいと思います。
吉方位旅行は1回ごとの成果もさることながら、それらが組み合わさることで、総合的な大きなエネルギーになることもあります。私の場合、それが一体何であったのかについて、今月号のブログではその不思議な体験を綴ってみたいと思います。
今年の吉方位旅行では、かつてないほどに、神秘的な体験に導かれました
こんにちは、運命の調律師 笹木龍一です。
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます ( ^ ^ )
今回は、今までに感じたことがなかったような不思議な体験について、今月号のブログでつづっていきたいのですが、その本題に入る前に、まずは毎月恒例の、来月(7月)の吉方位・凶方位・吉日からお届けして参りたいと思います。
2026年7月の吉方位・凶方位について
まずは足元の、7月(7月節:7/7〜8/6)の運気を、しっかりと整えていきましょう。いつものように、7月の吉方位と凶方位、そして物事をスタートするのに最適な吉日をお伝えします。
※ 方位エリアの見方は、基本的には「あちこち方位」の「45/45」で出してください。詳しくは、ホームページのトップバー「占いの種類」→「九星気学」→「新・あちこち方位の使い方マニュアル」をご参照ください。
2026年7月の吉方位
(※これは月盤が動く、1〜2泊までの移動の際に働く吉方位・凶方位になります)
・南
大きな変化をもたらす方位です。旧来を守るより大胆に変える方が吉で、よくない因子があれば悪化することもありますが、思い切って離れれば解消します。正しい変化には天の追い風が吹き、好転していきます。
・西南
社会に頭角を現し真価を発揮する気が廻ります。太陽が昇り始めた状態で運気は良く、物事がはかどります。効果を得るには待たず積極的に行動し、沈んだ時に備えて周囲と良い関係を築くことも大切です。
・東南
一歩ずつ上って大吉に至る方位です。下積みの苦労を重ねた人が芽を出す時で、すぐの大成功はありませんが、進歩向上と成功が約束されます。肩の力を抜き、一つずつ丁寧に積み重ねるとよいでしょう。
・西北
大局では良いものの、小さな行き違いや停滞でうまくいかない点を改善する機です。歯がゆい箇所を見極めて全力で手を入れ、あとは焦らず待つことで力を発揮でき、方徳効果を大きく受け取れます。
2026年7月の凶方位
反対に、今月避けていただきたい方位は、東・西・東北・北の4方位です。
大きなお出かけやご旅行の際には、できるだけ避けるようにしてくださいね。
2026年7月の物事をスタートするのに良い吉日
下の画像に、ご自身の用神・喜神の気別の、7月中の開運日をまとめております。ぜひ手帳に書き込んで、毎日の計画にお役立てください。
なお、この木・火・土・金・水の分け方は、ご自身が生まれた日の天干(日主)や、九星気学の本命星とは異なります。ご自身の用神・喜神の気は、お作りした鑑定書の4ページ目をご参照ください。
呼ばれていたのは、私のほうだった
2026年の2月4日以降に、私はこれまで3回の吉方位旅行に出かけていました。
2月は、西の方位へ。いま私が住んでいる仙台から見て、2泊で行ける距離での最も遠いところとして、新潟県の村上市を訪ねました。
3月は、西北の方位。宮城県と山形県の県境にほど近い、瀬見温泉へ。
そして、今年いちばん運の気が強くはたらく6月には、東北の方位へと向かい、三陸海岸を巡ってきました。その途中、私の住まいから見て北にあたる平泉に、中尊寺金色堂をひと目見ようと、泊まらずに立ち寄りました。
はじめは、ただ順番に、ひらいている方位を採っていただけのつもりでした。
ところが、です。行く先々で、ある二つの名前が、まるで向こうから差し出されるように、繰り返し私の前にあらわれました。源義経。そして、弁慶。
村上でも、瀬見温泉でも、平泉でも。観光の案内にも、土地の言い伝えにも、必ずと言っていいほど、この二人の名前が出てくるのです。最初は偶然だと思っていました。けれど三度、四度と重なってくると、さすがに胸がざわつきました。
そしてある時、頭の中に地図を広げて、はっとしました。
私が選んだはずの旅の点と点を、線でつないでいく。すると、その線が、そっくりそのまま、義経たちがたどった道だったのです。
兄である源頼朝に追われた義経が、弁慶たちとともに、北へ北へと落ち延びていった、あの逃避行の道。私は知らないうちに、その足跡を、順番になぞっていたのでした。
自分で方位を選んだつもりでいて、本当は、呼ばれていたのは私のほうだったのかもしれない。そう思うと、鳥肌が立ちました。
こういう経験は、決して特別な人にだけ起こることではない、と私は思っています。
あなたにも、ないでしょうか。
理由はうまく説明できないけれど、なぜか心が惹かれてしまう場所。もう一度行きたくなる土地。気づけば、何度も目にしている名前。もしかするとそれは、あなたの人生が、そっと差し出してくれている小さな道しるべなのかもしれません。
今回は私の身に、それが起こりました。
義経と弁慶に呼ばれた私のこの旅が、いったい何を伝えようとしていたのか。その意味にはっきりと気づくのは、もう少し先のことになります。まずは、義経と弁慶が命がけで駆け抜けた、あの道の話から始めさせてください。
日本海を北へ——冷たい風の中の、消えない熱
まずは、義経と弁慶という二人のことは、皆さま知っていると思いますが、ここで少しだけ思い出しておいてください。
源義経は、戦の天才でした。けれど、その才能を兄にうとまれ、命を狙われて、北へ北へと逃げていく若者です。
弁慶は、その義経を、自分の命をなげうってでも守ろうとした、大きな家来でした。
この二人が、私が今年たどった日本海側の道を、かつて命がけで駆け抜けていきました。
逃げる途中、二人は安宅の関(あたかのせき)という関所で止められます。ここを抜けられなければ、もう終わり。義経の一行は山伏のすがたに身をやつし、義経自身は、荷物を背負う下働きのふりをして、関所に挑みました。
関所の役人、富樫(とがし)が弁慶に言います。お前たちが本物の山伏なら、勧進帳(かんじんちょう)を読んでみせよ、と。けれど、そんな巻物は持っていません。弁慶は、なにも書かれていない白紙の巻物を取り出し、さも本物であるかのように、朗々と読み上げました。見破られれば、その場で全員の命がありません。
それでも、役人たちは義経をあやしみます。あの荷物持ちは義経ではないか、と。その瞬間に弁慶がとった行動が、この物語のいちばん胸に迫るところです。弁慶は、自分がこの世でいちばん敬う主君である義経を、守るために、自らの手にした杖で打ち据えたのです。家来が主君を打つ。本来ならば、あってはならないことでした。
勧進帳とはどんなお話なのかを、動画でやさしく説明したものがあります。
お時間のある時に、こちらもご覧頂けると、日本人の心を打ってきた、感動的なお話も久しぶりに聞けると思います。
NHK for School『勧進帳』 https://edu.web.nhk/school/watch/bangumi/?das_id=D0005150093_00000
富樫は、本当は気づいていたといわれています。気づいた上で、主君を打ってまで守ろうとする弁慶の覚悟に心を打たれ、見て見ぬふりをして、一行を通したのです。
関を越えたところで、弁慶は声をあげて泣き、主君を打った無礼を詫びました。義経は、ただその手を取って、許したと伝えられています。
誰かが誰かを、命がけで守ろうとする。その張り詰めた熱は、何百年が経っても、土地の空気のどこかに残っているように、私には思えてなりません。
関を越えても、二人の逃避行はまだ続きます。そしてこの逃げ道のただ中で、義経の妻である北の方は、新しい命をその身に宿していました。
山形の山の中、亀割山(かめわりやま)というところまで来たとき、北の方が産気づきます。逃げる道の途中です。医者もいなければ、生まれてくる赤子を温めてやる湯もありません。
弁慶は、産湯(うぶゆ)を求めて沢を駆け下りました。すると、川辺に一筋の湯けむりが立ちのぼっているのが見えたのです。
弁慶は、手にしたなぎなたを振り上げ、川辺の大きな岩を、一撃で砕きました。割れた岩の間から、熱い湯がこんこんと噴き出します。あれほど荒々しい豪傑が、これから生まれてくる小さな命のために、岩を割ったのでした。
若君は無事に生まれ、その湯が、この子の産湯になりました。一行はここでしばらく体を休め、また北をめざしていきます。これが、いまも山あいに湯けむりを上げる、瀬見温泉(せみおんせん)のはじまりだと伝えられています。
私が3月に、西北の方位を採ってこの瀬見温泉のお湯に浸かったときから、その古い物語が、だんだんと色濃くよみがえってきていました。
逃げることしかできない極限の中でも、新しい命は、ちゃんと生まれ、守られた。硬い岩をも割って、産湯が湧いた。土地にしみ込んだその熱くて濃い力が、湯けむりと一緒に、温泉として湧き出ているような気がしたのです。
北の終着点、金色堂の静寂
北へ北へと逃げのびた義経が、ようやくたどり着いた先が、平泉でした。いまの岩手県です。
そこで義経を温かく迎えたのが、この地をおさめる奥州藤原氏の当主、藤原秀衡でした。秀衡の平泉は、戦のない、おだやかな都だったといわれています。
義経にとって平泉は、若き日に自分を育ててくれた恩人・秀衡のいる、ただ一つの帰れる場所でした。
その都に、金色に輝くお堂がありました。中尊寺金色堂です。今からおよそ900年前、1124年に建てられたもので、義経がたどり着いたときには、すでにその輝きを放っていました。北の果ての地に、金箔と、夜光貝の貝殻と、宝石でびっしりと飾られたお堂が、建っていたのです。
私も今回、北にあたる平泉へは立ち寄るだけにして、この金色堂をひと目見てきました。
一歩、足を踏み入れると、独特の空気感が漂っています。あとに残るのは、圧倒的な金色の光と、深い静けさだけ。義経が秘めていた、あの戦の天才としての才能も、きっとこんなふうに、圧倒的に輝くものだったのだろう。そんなことを思いました。
金色堂を出て、すぐ近くにある弁慶堂にも、足を運びました。義経を最後まで守りぬいた、あの弁慶をまつるお堂です。ここにも私は、手を合わせてきました。
ここで少し、義経がどれほどの戦の天才だったかを、思い出してみてください。
幼いころ、京都の鞍馬山で天狗に剣を習ったとまでいわれ、五条大橋では弁慶と伝説的な出会いをはたします。
やがて源平の戦いが始まると、崖を馬で一気に駆け下りる鵯越の坂落とし(ひよどりごえのさかおとし)、波に揺れる小舟の扇を、家来の那須与一(なすのよいち)がただ一矢で射抜いた屋島の一幕、そして海上での壇ノ浦の戦いと、いくさのたびに勝利を重ねていきました。
あの扇を射抜いた奇跡のような場面さえ、義経という人のもとに集まっていた、運の強さと勢いのあらわれだったのかもしれません。
「平家にあらずんば人にあらず」とまでいわれ、栄華をきわめた平氏の一門を、西へ西へと追いつめ、ついに海の底へ沈めたのが、ほかならぬ義経だったのです。
けれど、その輝かしい歩みには、もう一つの顔があります。
義経をかくまい、守っていた秀衡が、病でこの世を去ります。
義経を守る人がいなくなったその瞬間、兄である頼朝からの圧力が、一気に平泉へ押し寄せました。
跡を継いだ秀衡の子、泰衡は、その圧力に耐えきれず、ついに義経を裏切って攻めます。義経は、金色堂からほど近い衣川の地で、妻や子とともに、自ら命を絶ちました。
あれほどの才能が、権力の都合の前で、声もなく消えていったのです。
金色堂には、今も藤原四代の人々が、金の棺の中に眠っています。900年という長い時が流れても、その黄金は、いちども曇ることがありませんでした。
私はその金色堂の光の前で、ふと思ったのです。この曇ることのない輝きは、はるか昔の、誰か特別な人のためだけのものだったのだろうか、と。
歴史は、繰り返さなくていい
今年の3度の吉方位旅行で、私は知らないうちに、義経たち一行の足跡をなぞっていました。
新潟県の村上市、瀬見温泉、そして平泉。行く先々で、その名が向こうから差し出されてきたことの意味を、私はずっと考えていました。
なぜ、義経と弁慶だったのか。
平泉の金色堂を見て、そして衣川での最期を思ったとき、ふいに腑に落ちたものがありました。義経が私に教えてくれようとしていたのは、きっと、栄光の物語ではなかったのだろう、と。
戦の天才として、あれほどの力を持ちながら、義経はその才能のゆえに兄にうとまれ、追われ、北の果てで静かに消えていきました。純粋でまっすぐな力が、打算と権力の論理の前で、行き場をなくしてしまったのです。
そして、これは決して、遠い昔だけの話ではありません。
今の世にも、形を変えて、同じことが起きています。人より少し抜きん出た才能を持つ人が、出る杭として打たれ、まわりに合わせていくうちに、その光をだんだんと弱めていく。
本当はもっと輝けるはずの人が、自分でも気づかないまま、輝きに蓋をしてしまう。義経の物語は、800年以上も前のことでありながら、どこか今の私たちの姿にも重なって見えるのです。
義経と弁慶が私を呼んだのは、もしかすると、この問いを手渡すためだったのかもしれません。才能ある人が、その才能のせいで潰されていく。そんな歴史を、これからも繰り返していいのか、と。
私は、もう二度と繰り返してほしくない、と思いました。
過去は変えられません。けれど、これからの一人ひとりの運命は、まだ整えていくことができます。生まれ持った気質と、めぐってくる時の流れを丁寧に読み、その人がいちばん自分らしく輝ける方へ、陰陽五行のエネルギーバランスを整えていく。
私が「運命の調律師」と名乗り、十干十二支氣学という道を歩いてきたのは、もしかして、そのためだったのではないか、とも。
派手なことをするわけではありません。誰かの人生を、こちらの都合のいい形に変えるのでもありません。
ただ、その人の中にもともとある輝きを、まわりに潰されることなく、まっすぐ外へ出していけるように。少しだけ、そのめぐりを整えるお手伝いをする。
義経を最後まで守り抜いたのは、ほかでもない弁慶でした。あの弁慶のように、才能ある人を守り、送り出していく。
それが今年になって、義経と弁慶に呼ばれ続けた私が、ようやく受け取り、自覚できた役割なのだということを改めて、そしてゆるぎなく感じ始めていました。
さらには、ここまで私を導いてくださったのは、もしかすると、私の産土様(うぶすなさま)だったのかも、ということも。
産土様とは、自分が生まれた土地を守り、その人が生まれる前から一生を、そばで見守ってくださっている神様のことをいいます。
仙台で生まれた私にも、生まれた場所のすぐ近くに、その産土様をお祀りする神社があります。
今回の不思議な旅は、その産土様が、私の手を引いて見せてくださったものだったのではないか。書くまでは漠然としか考えられなかったことが、6月の吉方位旅行を振り返り、このブログをつづるさなかで、ハッキリと形になってきた。と、そんな気がしてならないのです。
その産土様は、仙台の愛宕(あたご)神社といいます。火を司る神様をおまつりする、古くからの火伏せのお社です。
この仙台の愛宕神社の、おおもととされるのが、京都の愛宕山(あたごやま)です。その京都の愛宕の山には、昔から、京の都を守る大天狗が棲むと伝えられてきました。日本でいちばん格が高い大天狗ともいわれる、愛宕山の太郎坊(たろうぼう)です。
ここで、少し思い出してみてください。義経が幼いころ、剣を授けてくれたのも、鞍馬山の天狗、僧正坊(そうじょうぼう)でした。京の都を、西の愛宕山と、北の鞍馬山から見守る、二柱の大天狗。義経は、その天狗たちに鍛えられて、戦の達人になっていったと伝えられています。
さらに、古い言い伝えの中には、鞍馬だけでなく、愛宕の天狗もまた、義経に兵法を授けたと伝えるものがあります。
もしそれが本当なら、私の産土様がおられる仙台の愛宕神社、その総本宮である京都の愛宕山は、はるか昔から、義経とご縁の深い場所だったことになります。そう思うと、今回の旅で義経と弁慶に呼ばれ続けたことも、ただの偶然とは、どうしても思えなくなってくるのです。
私が以前、産土様からいただいてきた御朱印が、手元にあります。
平泉で出会ったあのお堂で見たものと、この一枚に書かれているもの。実は、二つに刻まれた同じ言葉に気づいてしまったとき、私はやはり強く呼ばれていたのだということが、静かに腑に落ちました。
そしてこの気づきそのものが、生まれる前から私を見守ってきてくださった産土様から、改めて手渡された教えだったような気がしてなりません。
あなたの中だけにある金色堂
900年の時を超えても、金色堂の黄金は、いちども曇りませんでした。その光の前で、私は問いを抱きました。この輝きは、誰か特別な人のためだけのものなのか。今の私は、そうではないと思っています。
義経があれほどまぶしかったのは、特別な英雄だったからではなく、自分の中の輝きにまっすぐだったから。ただ、それをずっと曇らせずにいられる時と場所に、出会えなかっただけなのかもしれません。
あなたの中には、まだ誰にも曇らされていない金色堂があります。
ふとした時に顔を出す、「これをしている自分が、いちばん好きだ」という感覚。理由もわからず惹かれてしまう場所。この旅のはじめにお話しした、あの小さな道しるべは、その金色堂の金色が、そっとあなたを呼んでいる証なのかもしれません。
義経の時代には、その輝きを守り、活かす術が、まだ充分に伝わっていませんでした。
けれど、今を生きるあなたには、それができます。生まれ持った気質を知り、めぐる時の流れに自らのエネルギーを合わせていく。それだけで、内側の金色は、潰されることなく、まっすぐ外へ出していけます。
そのための陰陽五行の叡智は、もうすでに確立されているからです。
過去は変えられません。義経の結末も。
けれど、これからのあなたの運命は、調律の仕方しだいで、いくらでも整えていけるのです。
場所との巡り合わせも、人と人との出会いも、袖振り合うも多生の縁といいますように、けっして偶然ではありません。
私が義経と弁慶に呼ばれたように、あなたを呼ぶ声も、もうすでにどこからか、響いているのかもしれません。
その先には、あなただけの金色堂が、光をたたえて建っています。
誰にも曇らせることのできない、あなただけの、まばゆい光で輝く金色堂が。
最後に、吉方位旅行の開運効果の高め方の一例をお伝えします。この金色の盃は、中尊寺の金色堂でしか手に入らないものです。
CD約1枚分強の金額でしたが、現金でしか購入できませんでしたので、あの場で思い切って買ってきました。
このように吉方位旅行に行った際には、行先に廻っている気にちなんだ、象意に合ったものをお土産に買って来て、家に置いたり、身近で使うのが良いのです。
そうした吉方位旅行の効果が倍増するような内容を、『吉方位効果 爆増セミナー(録画版)』として、2026年7月6日(月)に、お目見えする予定です。
1週間は、特別記念価格でのご披露となります。
ちょうど今日から数えて1週間弱の後の発表ですが、今後の吉方位旅行が、より実り多く、楽しく充実するものになるノウハウが満載ですので、ご興味がある方は、ぜひお披露目を楽しみにしていてください
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