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運命の調律法~九星気学の視点から~

干支では主に先天運が分かり、九星では主に後天運が分かる

 

 ここまで運命の調律法の「十干十二支氣学編」では干支による吉方位採りの仕組みを、「運命の調律法~四柱推命編~」では干支(十干・十二支)の働きを観てきました。 

 

特に「四柱推命」の構成要素である「干支」では先天運といって、持って生まれた素質や運勢に関することが精密に分かりますが、ここで触れていく「九星気学」では後天運といって、実際に我々がどう動いたら良いのか?逆によくないのか?吉方位や凶方位は同関連してる? といった目の前の細かな事象や動き、「表面」に関することが観えてきます。

人生で役に立つ、九星の活用例

九星気学ではどう動けば良いか、逆にどう動くのはよくないか。すなわち吉方位や、凶方位が分かる

 

 吉方位を厳密に出すのは手間が掛かりますが、それに比べて凶方位を出すのは容易です。 

 

吉方位や凶方位、以前に、方位のそもそもの活用の仕方について、いつも吉方位にばかり行こうとすると行動の自由も制約されてしまいますから、たまに運気の充電をしっかり行う時には行き、それ以外の時にはその日や月の凶方位はあらかじめ調べておき、避けられるものであれば避ける。 

 

というとらわれない使い方がまず大事であろうことと、凶方位を避けるだけでも運気は充実していく事を忘れてはなりません。 

 

なぜなら、人は運勢で凶運気の時期に入った際には、ほとんどと言ってよいほど引き寄せの法則によって凶方位に自ら行くようにセッティングされているからです。 

 

要は「凶方位にさえ行かなければ、人はそうそう運気は落とさない」ということが私の持論です。 

 

実際にあった事例として、多少不幸な例でしたが、2016年の西南には、壬寅 八白土星が暗剣殺の、しかも太歳で廻っていましたが、その年に6回ほど、沖縄方面の島にバカンスに行った方がいて、そのあとほどなくして急死された方もいらっしゃいました。 

 

その方は私の鑑定のお客様の知人で、方位の存在は信じていなかったので、私のお客様が「今年は凶方位だから行かない方が良いですよ」といっても、聞く耳を貸そうとしなかったのです。 

 

そして遠距離に3泊以上で年6回ほど行かれて、大凶方位の気を受けてきた結果、まだ全然50代の働き盛りなのに、突然亡くなられてしまったのです。。。 

 

ちなみに暗剣殺とは凶方位の中でも最も大きなトラブル運を呼び込む星で、しかもその年は申年だったので、西南の方位の作用は吉効果、凶効果ともに約3倍ほどに強まっていたので、なおさらてきめんに凶作用を受けたのでした。 

 

特に私はこうした方位にまつわる様々な事例をこれまで、吉凶共に見てきていますので、それらすべての結論として「方位のエネルギーは誰が何と言おうとも絶対にある!」ということが言えるのです。 

 

こうした不幸な方を世の中からなくしていくためにも、もっとはっきりと、そして説得力のある言葉をもっと広く世に知らしめていく、ことが私の使命だとも思っています。

 

 

物事のスタートの日を、吉日に設定する

 

 その次に、人生の役に立つ九星気学の活用事例としては、物事の始まりの日を吉日に設定すると、あとあとまでそのスタート時点の運気の水準で、運勢の波が上下動する、ということです。 

 

我々自身の誕生日が、そのあとの人生にこれほど精密に影響を与えているということは、深い占術で見れば見るほど明らかなのはお分かりだと思いますが、その他にも、このホームページでもよく言っていますが、入籍日も大事です。 

 

入籍日とは、夫婦二人が一つの単位として、社会に生まれいずる日なので、その入籍日の十干・十二支・九星があとあとの夫婦生活にまで影響を与えているからです。 

 

家庭生活に関する悩みのご相談を頂くこともありますが、そうした時は入籍日をお聞きして調べてみると、きまってよくない日、またはゴタゴタやトラブル運、お互いが強くなりすぎてぶつかり合う日、になっています。 

 

めったに大吉の入籍日で結婚されている方というのも少ないのですが、しかしお互いにバツイチで、今度は失敗したくない、という方から良い入籍日を調べてほしい、という鑑定依頼があり、それを調べてその日に入籍された方は、あとあとまで不思議と穏やかにトラブルなく、過ごしていらっしゃいます。 

 

あとは起業する時の登記日や、社長就任の日、入社日、などにもスタートの時点の運気は、大きく影響を与えています。 

 

その他にもこの九星気学と、元となっている易経にさかのぼって観ていくと、さらにいろいろなことが観えてきます。 

 

たとえば書店に行けば、「行くだけで開運する!」といった九星気学に関する本はたくさん売っています。 

 

しかし占い師ではなく、普通に占いに興味のある方々に意外と知られていないのは、九星気学はもともと、中国の書物の四書五経という中の「易経」が原典となっているということです。 

 

これは東洋最高の書物とも言われていますが、その分難解なところもあります。 

 

「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉がありますが、これは易経の中で言っていることがあまりにも多様であり過ぎ、大自然界全てで起こりうる事象を説明しているので、「占いは的中することもあるし、外れることもある」「どうとでも取れる」ということを述べている言葉です。 

 

が、しっかりとした星廻りのデータをもとに見ていくと、かなり深い部分まで九星で如実に見えてくるものですが、これは相当深く九星を見られる占い師でなければ、確かにそこまで読み解くのも難しいかもしれないので、そのような言い回しが出来たものと思われます。 

 

この易経の中では「八卦(はっか・はっけ)」という、陰と陽の組み合わせから成り立つ八種類の天地自然の事象の働きをもとに、八×八の「六十四掛(ろくじゅうしか)」で、大自然や宇宙の働き=現象を表しています。 

 

そして我々日本人の中にもこの八卦は、もうすでに生活の中に溶け込んでいます。 

 

例えば、八卦の法則が反映されていることとして分かりやすいところでは、 

 

・京都や江戸の地形が四神相応の地で、鬼門、裏鬼門をしっかり護って安定した時代を長く築いたこと
・地名:辰巳、やその他の地名
・茶道:茶室の構造
・相撲:国技館のつくり

などが挙げられますので、それを一つ一つ見ていきます。

八卦の法則が反映されていること

京都や江戸の地形が四神相応の地で、鬼門、裏鬼門をしっかり護って安定した時代を長く築いた

 

 これについてはもう有名なことですので、簡単な図だけ載せて極力シンプルに説明しますが、 

 

日本の歴史の中で、1つの政権としては非常に長く、300年前後続いた時代は、平安時代(約390年間)と江戸時代(265年間)があります。 

 

その2つには共通点があるといったら、ご存知でしょうか?そしてこの長期間続いた政権に共通するポイントを活用すると、我々自身の人生にも役立たせることができるのです。 

 

歴史に詳しい方や、風水や鬼門といった話に詳しい方は知っているかもしれませんが、この2つの政権が長く続いた秘訣としては、一つは都が地理風水の法則に叶っていたこと、もう一つは鬼門と言われる方角、東北を特に大事に扱ってそこに要となる神社仏閣を建てた、というのが非常に重要なポイントだったのです。 

 

つまり神仏を大事にし、気の流れでも重要な個所に、抑えとなる寺社仏閣を建立して、都としての気の流れを理想的に整え、繁栄する土台をしっかりと整えた風水都市としたことです。 

 

いまの東京の発展の基盤も、そうした江戸時代からの地理風水の気の流れがあったからこそです。 

 

その気の流れの法則性とは、一つは四神相応の地 : 四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)、に守られた土地だったということ、もう一つは鬼門封じ=東北の方位を大事にしてきていたかどうか、ということです。 

 

平安京(京都)の鬼門封じの例としては、御所の東北の角を引っ込めたり、そこに猿(申)の御幣を置いたり、幸神社、赤山禅院、比叡山の守護神・日吉大社を据えたことで、最も東北には比叡山延暦寺を建てています。 

 

江戸(東京)の鬼門封じの例としては、江戸城から見て、東北には上野の東叡山寛永寺を建立。初代住職は天海僧正。西南には増上寺を建て、西南の裏鬼門を守護し、さらには神田神社と日枝神社を建立しています。大きな角度からは、御三家の水戸藩と紀伊藩を配置して、江戸の鬼門と裏鬼門を藩レベルで抑え、家康の子供である尾張、紀伊、水戸の御三家で重要な場所を固めました。 

 

やはり天下国家を安定させて守るには、「国として」、「国家ぐるみで」、「トップと運気面の参謀(軍師)(風水師)(陰陽師)」で、これだけの方策をしっかり取らなければ大きな力は動かせず、安定も長く続かないということです。 

 

<京都と江戸の風水の図> 

 

事実として歴史を見てくると、長く続いて安定していた時代の裏には、こうした運気面での努力があり、目に見える繁栄は目に見えない土台があってこそで、原因がなければ結果もない、というただそれだけのことなのです。 

 

これは歴史が証明しているように、我々の人生でもそうです。例えば家の中の鬼門(東北)を汚くせずに、いつもキレイにしておくと、邪気が家の中に蔓延せずに物事がうまく進むようになる、とか。 

 

そもそもマンションやアパートで住む部屋を決める際には、全部が良い風水的な間取りになるということはありませんが、少なくとも東北にはなるべく水回りが無い物件を選ぶ、とか。 

 

もしそういった部屋に住んでいる場合には、いつも部屋の中をキレイにしておきながら、主要な五か所(東北・玄関・洗面所・トイレ・キッチン)には盛り塩を置いておき、1週間ごとに取り替えるなど。 

 

そのように、この世の中には方位の東西南北など、詳しくは八卦(はっか)の易の法則に応じて気の流れは厳然として存在していますので、それを分かった上で、この流れに沿って我々の住む場所を構築できた時に、繁栄がもたらされるというのが自然の理なのです。 

 

さらに、住む家や都などの気の流れをキレイに整えるのは静的開運法で、自らが吉方位に動いて良いネルギーの中に自分の身を浸してきて開運しようというのが、動的開運法とも言えます。 

 

言い換えれば、守りの開運法が風水、攻めの開運法が自分が動く吉方位採りとも言えます。我々が平安時代までの歴史の教科書を学んだ時、なんで平城京、長岡京、平安京などという風にあの当時は頻繁に都の引っ越しをしていたんだろう、というのを疑問に思ったこともあると思いますが、あれは都の引っ越しによって吉方位を採って開運しようという行為だったと考えられています。 

 

正確に見てみると、7世紀半ばから8世紀にかけての150年の間には、13回もの遷都が行われています。 

 

①飛鳥板蓋宮 643、②難波長柄豊崎宮 645、③飛鳥宮 655、④近江大津宮 667、⑤飛鳥浄御原宮 672、⑥藤原京 694、⑦平城京 710、⑧山背恭仁京 740、⑨柴香楽宮 744、⑩難波京 744、⑪平城京 745、⑫長岡京 784、⑬平安京 794、 

 

という流れです。 

 

そしてその場所が気の法則に合っていれば、平安京=京都のように政権は変わっても、1,000年を越えて首都としてあり続けたり、江戸もその後東京として、400年を越えて今もずっと首都であり続けることができる、という訳です。 

 

これを我々個人レベルにも応用しよう、というのが気学・方位学です。 

地名

 

 地名では最も有名なのが、甲子園球場でしょう。1924年の、甲子(きのえね)の年に出来たので、甲子園球場と名付けられたとか、 

 

他にも地名で、辰巳、庚申坂、という場所もあったり、過去の戦争では、壬申の乱、戊辰戦争など、皆さま教科書などで習ったことがあると思います。 

 

上記のことを一例として、文化や芸術の面でも、干支や八卦を応用した物事は、日本人の生活の様々なところに溶け込んでいます。

お茶の由来

 

お茶も、陰陽五行や干支と八卦の考え方について、深い関係があるのはご存知でしょうか? 

 

もともとお茶は栄西が日本に伝えました。栄西は鎌倉時代の人で、鎌倉仏教 六宗のうちの1つを開いた方です。 

 

あの時代は新しい仏教が6つ、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗と立て続けに出てきましたが、そのうちの臨済宗を開いた人でした。 

 

栄西は中国・宋に渡り、天台山にこもって禅宗の修行をしました。その時、お茶についても知り、健康長寿の効能があることを知って、帰国後の1211年、71歳の年に書き上げた書が『喫茶養生記』です。 

 

これは漢方の考え方にも通じるのですが、そこには「お茶は体に良く、飲むと長生きする」ということを陰陽五行に基づいて、著書の中で書いています。 

 

当初はお茶は薬とみなされていて、栄西自身も平均寿命が25歳前後だった鎌倉時代に、74歳まで長生きしました。 

 

そこでは、どのような風にお茶の効用について書かれているかと言いますと、「日本人は五味のうち、酸・甘・辛・鹹(塩辛さ)についてはよく摂取できているが、苦みは摂れていない。なので苦みをお茶で摂るのが良い」ということでした。 

 

 

五行の「木・火・土・金・水」の気のうち、味覚には五味、つまり「木=酸、火=苦、土=甘、金=辛、水=鹹(塩辛さ)」が配当されていますが、栄西曰く、あの当時の日本人は、火気の苦み以外は比較的生活の中ではよく摂れていた、ということです。 

 

五行の気は、五味以外にも五臓では「木=肝臓、火=心臓、土=脾臓、金=肺、水=腎臓」に配当されていて、それぞれの味を摂ることで、その臓器が良く働くとされています。 

 

つまり日本人の生活の中には「火気=苦み」が足りなかったので、心臓が強くならない。そこをお茶で苦味を補い、陰陽五行の気のバランスを心身で整えて健康になるために、お茶を飲むことを勧めたのです。

茶道

 

 

さらにそこから時代は下って、千利休で有名な「茶道」にも東洋の陰陽五行説は採り入れられています。 

 

茶道は四畳半の小さな部屋の中でお茶を嗜みますが、あの茶室の四畳半の空間とは、実は八卦や九星の遁甲図そのものであり、いわば小宇宙と言えるものです。 

 

茶道、つまり茶の湯は、場所は四畳半を基本とした茶室の中で行われますが、この四畳半という広さ自体にまた深い意味が込められているのです。 

<茶室の四畳半の図> 

 

茶室の四畳半の空間とは、八卦や九星の遁甲図そのものであり、いわば小宇宙と言えるものです。つまり四畳半の茶室の中には森羅万象の理と調和、小宇宙が込められているとも言えるくらい、この「四畳半」という広さには意味があるのです。 

 

そしてそれぞれの位置に何が置かれているか、ということにも五行の意味合いが深く籠められています。 

相撲

 

 相撲もそうです。 

 

我々の生活には、東洋の哲学とも言える陰陽五行説、木・火・土・金・水や干支、八卦がもうすでに深く浸透しているのです。 

 

その例として、相撲の立ち合いの時に「はっけよい、残った!」という掛け声は聞いたことがあると思いますが、 

 

あれは八卦(はっけ・はっか)、つまり周り全部 四方八方ともすべて良いぞ、天下泰平、立ち会うための場は八方位ともすべて整ったぞ!という意味だとも言われています。 

 

他にも、土俵の上の吊り屋根の四隅にある4つの房も、東洋の陰陽五行説、木・火・土・金・水の五行の気に基づいて色が決められています。 

 

房の色は青、赤、白、黒で、これを四房(しぶさ)と言い、四季と四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)を表していて、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈念しているものと言われています。 

 

ですので陰陽五行の法則に合わせて、東には緑色の房、南には赤い色の房、西には白い色の房、北には深緑色の房、という風に色が対応しています。北だけは本来は黒なのでちょっと違っているのですが、「緑の黒髪」という表現があるように、黒が極まった上で緑色に見える、ということで誰かが黒そのものではなくて、深緑色にアレンジしたのかもしれません。 

 

そしてその下の中央には土俵があり、それが黄色で土気、丸い土俵は「陽」、それを囲む四角は「陰」を表しています。 

 

これは木・火・土・金・水という五行を、色に当てはめると、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒、であり、方位に当てはめると、木=東、火=南、土=中央、金=西、水=北、だから、それに基づいて土俵や房の色が当てはめられています。 

 

ただしこの場合は、方位も多少違っています。 

 

もともとは柱が東北(丑寅)、東南(辰巳)、西南(未申)、西北(戌亥)に設けられていたのですが、観戦しづらいということでこの4本の柱は取り除かれ、替わって天井から「青・赤・白・深緑」の房が取り付けられました。 

 

 

そのように微妙に観戦上の理由から、真東や真南に房が下がっていると見づらいということから東北、東南、西南、西北といった土俵の角の方に房がずれていたり、本来であれば黒い色であるところも深緑色に替わっていますが、意図しているところは陰陽五行を土俵という一つの宇宙に当てはめられているということです。 

 

行司の軍配にも、月と太陽が描かれていて、これも陰陽二元論を物語っています。 

 

 

意図としては、完全に陰陽五行論を基に相撲の土俵や場所は作られていますが、観戦上の見やすさ、見づらさから、房の色や位置に関してはアレンジが施されていますが、その本質は昔からの法則が当てはめられているということです。

木・火・土・金・水の五行の流れや、一白から九紫の意味

 

木・火・土・金・水の五行の流れや、一白から九紫の意味については、トップページのタブ内にある「九星気学」の方で、基本的な個別の星の意味について述べておりますので、ここでは割愛します。

 

詳しく知りたい方は、トップページのバーの中にある「九星気学」のタブを「あとで」ご覧ください。

 

が、今はこれらの星を自分にとっての開運と幸せに活かすとどうなるか?を以下に記します。

吉方位で九星を採ると?

 

こうした十干・十二支・九星を自分にとって最も良い形で採っていくと、このような吉方位効果を呼び込めます。

 

生月盤観法(恋愛・結婚・家庭運の見方)

 

それをプライベート運に活用するためには、この個所に対して働きかけるのがコツです。